天使がいるバーで 1300文字のものがたり 第5話 ナルシスの丘で抱きしめて。

      2019/12/03

 

おばあちゃんが生涯かけて愛した人は、お二人のどちらかだと思うのです。と、瞳は言った。

柏木明日香の孫、Hitomi Davidson Watabeと名のる女性から、拓郎と翔のもとにエアメールが届いたのは、長い夏から突然冬にスキップしたような晩秋のことであった。

先日亡くなった祖母の日記を読み、お二人の名前を知った。祖母が本当に好きだったのはお二人のどちらかだと思うので確かめたい。しばらく日本に滞在するので、お会いできないかという趣旨のことが美しい日本語で綴られていた。

バーに現れた若い女性を見て、拓郎と翔は思わずスツールから立ち上がった。二人と別れ、アメリカで結婚した明日香に女の子の孫が生まれたという噂は聞いていたが、アメリカ人祖父の血をまったく感じさせない黒髪に透き通る肌、可憐な中に凛とした気品をたたえた佇まい…二人にとって忘れられない明日香そのままの姿がそこにあった。

キャンパスで、明日香、拓郎、翔の三人は目立つ存在だった。明るく快活な拓郎、物静かな翔、そして華やかな明日香の三人は同じクラブに属し、どこに行くのも一緒だった。

「明日香ちゃんは、拓郎と翔のどちらとカップルなの?」そんな問いを笑顔でかわしながら、それぞれの想いが交錯するトライアングルは絶妙なバランスを保ち、他を寄せつけない雰囲気をかもし出していた。それは、絶え間ない男子学生のアプローチから、拓郎と翔が明日香を守っているようにも見えた。

そんな幸せな時間はつかの間に過ぎ、明日香が二人に別れを告げたのは、卒業を控えた早春のことだった。父親のアメリカ赴任に伴って、卒業後は明日香もアメリカに渡ることになったという。春を先取りした蒲公英色のコートをひるがえし、飛行機で飛び立った明日香の姿を、今も二人は鮮やかに思いうかべることができる。そして、あれから40数年の年月が流れたのだった。

「おばあちゃんは、水仙の花が好きでした。大好きだった彼とも、水仙にまつわる思い出があるようなんです」と、二人をまっすぐに見つめながら瞳が言った。

「それなら明日香の運命の人はオレかもしれない」
ガッツポーズをとらんばかりに、拓郎が眼を輝かせた。
「大学3年の春、越前岬で合宿をしたことがあっただろ。実はあのときオレ、お前にも内緒で明日香を水仙の丘に連れだして想いを伝えたんだ」

「お前、なんてことを…」
「抜け駆けしたみたいで、すまん」
「それなら、なぜ明日香が旅立つとき、引き留めなかったんだ?」
「あの頃は貧乏だったからな、自信が持てなかった…」
今や功成り名を遂げた拓郎がつぶやいた。
「そうだな、僕も…」と、日本を代表する最高学府の学長を務める翔も頷いた。

「おばあちゃんはその人から、遠回しにプロポーズを受けたみたいなんです。
その人の真意は分からないのですが、おばあちゃんはいつも微かに哀しそうな笑みを浮かべて、『あのとき、私だけ日本に残るべきだったかな』と話していました」
そう言いながら、瞳は祖母が大切に保管していたという形見の品を取り出そうとした。

ブラザーズ・フォー Brothers Four/七つの水仙 Seven Daffodils
(クリックでYouTube音楽を聴くことが出来ます。)
 
「水仙にまつわる思い出なら僕にも…」
そう言いながら、翔が1枚のレコードを取り出したのと、それはまさに同じタイミングであった。磨きこまれたカウンタ―の上に、奇跡のように2枚の同じ古いレコードが並んだ。

それは1960年代に流行ったブラザーズ・フォーの名曲「七つの水仙」で
「僕には家も土地も、君に豪華なプレゼントを贈るお金もない。でも、月の光でネックレスや
リングを作り、目覚めれば君を千の丘に連れていき、キスをして朝日に輝く七つの水仙を
見せてあげることができるよ…」というような内容の歌だった。

そしてそれは、翔が明日香に贈り、明日香からも贈り返されたものだったのだ。

翔はこみあげる感激と耐えがたい後悔の念で、胸がつぶれそうになった。

「なんだ、それは~!」「お前こそ抜け駆けしやがって…」責め立てる拓郎の声が遠のき、やがて何も聞こえなくなった。投入されたばかりの薪に火が移り、消えかけていた暖炉が赤々と燃え上がるのを翔は静かに見つめていた。

 

《XYZ エックス・ワイ・ジー》

XYZはアルファベット最後の三文字。これ以上続きがないことから、これ以上最高のものはないという意味があり、カクテル言葉として「私の心は永遠にあなたのもの」というメッセージが込められている。ホワイトラム30ml、ホワイトキュラソー15ml、レモン果汁15mlをシェイクしてカクテルグラスに注げば出来上がり。

 

 

 

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