北西スペイン・ポルトガル紀行〔3〕

      2021/04/25

◆リスボン・ジェロニモス修道院

 

 

 

 

 2010年12月8日、ポルトガル北部の都市ポルトに連泊した旅の5日目の朝、昨夜来の強風雨はおさまっている。8時前、ホテルのレストラン、添乗員、1人旅の若い女性と4人でののんびりした朝食。ポルトガル人の家族はパンと飲み物だけ。添乗員もこれにヨーグルトを加えただけの簡単な食事。こちらはハムやソーセージ、卵、野菜、果物なども加えて満腹。集合の1時間前というのにロビーに来ている人が何人かいる。

 

ポルトガルの独立と勝利のシンボル―バターリャ修道院

 9時過ぎホテルをバスで出発。雨は上がり、きれいな虹がかかっている。少し肌寒い。途中激しい雨が降ったり止んだり。所々、鉄塔の上の巣にコウノトリのつがいが翼を休めている。

 12時近く、ポルトガル中部の街バターリャに着く。17℃。バターリャとはポルトガル語で「戦い」の意味。駐車場のすぐ前が世界遺産にも登録されているバターリャ修道院。1385年8月、バターリャ近郊のアルジュバロータの戦いで、攻め入って来たスペイン軍を打ち破り、ポルトガルの独立を守った勝利を神に感謝して造られた。

 建設に着手したのは1388年のこと。何人かの建築家に引き継がれ16世紀初頭に完成した。壮大かつ華麗な修道院は、ポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築のひとつ。正式な名称は、「勝利の聖母マリア修道院」。荘厳な雰囲気に包まれて聖母懐胎祭のミサが行われていた。高さ32m、奥行き80mの内部は簡素だが、16世紀に造られたステンドグラスが彩を添えている。

◈バターリャの英雄ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラの騎馬像

◆広場にはアルジュバロータの戦いで軍を指揮した若き司令官ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラの騎馬像が

◆バターリャ 勝利の聖母マリア修道院 : 横スライド8枚 縦スライド1枚

◈王の回廊

 「王の回廊」へ回ると、衛兵の交替式が進行中だった。

◆王の回廊の衛兵の交替式

 「王の回廊」はゴシック様式の簡素な回廊に、マヌエル様式の装飾を施し、見事な調和を生み出している。回廊の奥にある参事会室には、無名戦士の墓が設けられている。部屋には1本の柱もなく、建設当初は天井が落ちるのではないかと騒がれた。

◆王の回廊(2枚)と中庭(7枚) : 横スライドショー9枚

◆勝利の聖母マリア修道院の内部 : 横スライドショー8枚、縦スライド1枚

◆黄葉の勝利の聖母マリア修道院 : 横スライドショー4枚

左:キリスト苦難の場面を描いた16世紀のステンドグラスが美しい。  右上:現地ガイドと  右下:ツアー同行者、現地の家族連れと記念撮影

◈天井部分がない未完の礼拝堂

 外に出ると反対側に天井のない未完の礼拝堂がある。もともとは創始者の礼拝堂に次ぐ第二の霊廟として15世紀に建設を開始したもの。しかし16世紀に入るとポルトガルの大航海時代の栄光に翳りが見え始め、次第に資金繰りが悪化、100年ほど工事が続けられたがついに未完に終わった。ゴシック、マヌエル、ルネッサンスなどの様式が見られる。

◆天井のない未完の礼拝堂 : 横スライドショー3枚 縦スライド1枚

 

荘厳な雰囲気に浸ったあとはビールで乾杯

 すぐ近くのレストランで、ビールに野菜サラダとビーフシチュー(肉じゃが)の昼食。なかなか美味しい。デザートはチョコレートムース。

◆左:昼食をとったレストラン 右:ビーフシチュー(肉じゃが)

 

ゴトゴト路面電車が走る七つの丘の町―リスボン

 小雨の中、2時出発。しっとりと雨に煙る眺めもまた風情がある。1人参加の老婦人が、スペインは南より北がいいと言う。4時リスボン市内に入る。15℃。寒さに備えて厚着しているので暑いくらい。

 テージョ川の河口近くに位置する首都リスボンは、ギリシャ神話の英雄オデュッセウスによって築かれた。平均気温が17℃で、年間を通して温暖。大航海時代には西ヨーロッパで最も美しい都市と称され、発展した。1755年の大地震により街は壊滅状態に陥ったが、今は見事に復興している。「7つの丘の町」と呼ばれる起伏の多い土地で、人口は50万人。首都圏には250万人が住む。石畳の道をゴトゴトと走る旧式の路面電車が名物。初めてなのにどこか懐かしさを感じる。比較的治安が良く、のんびりした暮らしよさそうな街。

 1543年、種子島に漂着した明国船のポルトガル人商人により鉄砲が伝えられ、1549年にはイエズス会修道士フランシスコ・ザビエルが来日。2年間の滞日中、ポルトガル商船が初めて平戸に入港し、日本との貿易が始まる。ヨーロッパや東南アジアの商品を多数持ち込み、ボタン、カルタ、パン、タバコ、コップなど今も日本語として日常的に使われるポルトガル語が普及した。

◈大航海時代の栄華を伝える白亜の修道院――ジェロニモス修道院へ

 ジェロニモス修道院へ。エンリケ航海王子の偉業を称え、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して建てられた。エンリケ王子が建てた礼拝堂の跡地にマヌエル1世が1502年に着工。完成したのは19世紀。マヌエル様式を代表する壮麗な建物。海外からもたらされた富によって建てられ、大航海時代の栄華を反映させた修道院。「天正少年使節団」が立ち寄った記録が残されている。

 フランス人建築家によって作られた南門は、レース細工のような繊細な彫刻が美しい。上部中央にエンリケ王子の像が置かれ、壁には聖ジェロニモスの生涯が描かれている。西門上部には、左から受胎告知、キリストの降誕、東方三博士の礼拝を表す彫刻がある。雨の中写真を撮るのに苦労しながら、在住16年になる日本人現地ガイドの説明を聞く。ヴァスコ・ダ・ガマの棺が安置されているが、中身は疑わしいという。

◆ジェロニモス修道院:横スライドショー6枚

◆ジェロニモス修道院の内部:縦スライドショー3枚、横スライドショー10枚

 ジェロニモス修道院最大の見どころは、中庭を囲む55m四方の回廊。石灰岩を用い、緻密な彫刻を施したアーチが何とも繊細優美。その完成度の高さで、マヌエル様式の最高傑作といわれる。しばし見とれる。

◆55メートル四方の中庭を取り囲むように建てられた美しい回廊。香辛料の取引で得た莫大な資金を元に建設され、完成までに約300年を要した。

 中庭を巡り、記念に船の絵タイルを買う。15.2ユーロ。

◈ベレンの塔

 雨でなければ歩いて行ける「ベレンの塔」へバスで移動。16世紀初め、マヌエル1世により、船の出入りを監視する要塞として建てられた。

 海と川の境にある石造りの塔には、マヌエル様式の優雅なテラスがある。司馬遼太郎は、貴婦人がドレスの裾を広げている姿にたとえて「テージョ川の公女」と呼んだ。2層の堡塁部分と4層のタワー部分からなり、6階が王族の居室、5階が食堂、4階は国王の間、3階は兵器庫、2階は砲台、1階は潮の干満を利用した水牢だった。

◆ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見の偉業をたたえて建てられた塔。かつては、リスボン港に出入りする船を監視する要塞としての役割も果たしていた。

 現在塔の内部は博物館になっている。5時を回って、薄暗い。波が激しく塔に打ち寄せている。リンドバーグより早くポルトガル→ブラジルの大西洋3800kmを横断した飛行機が展示されている。

◆リンドバーグより早くポルトガル⇒ブラジルの大西洋3800kmを横断した飛行機

◈発見のモニュメント

 5時半には「発見のモニュメント」へ。大航海時代に活躍した帆船型のモニュメント。英雄エンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に造られた。高さ52m。エンリケ王子が大海へ乗り出す勇壮なカラベラ船を手に先頭に立ち、その後に天文学者、宣教師、船乗り、地理学者などこの時代に第一線で活躍した約30人の像が立ち並んでいる。

◆発見のモニュメント:縦スライドショー2枚、横スライドショー4枚

 モニュメント前の広場の中央には大理石のモザイクで世界地図が描かれ、大航海時代にポルトガルが新しい国に到達した年数が刻まれている。日本は、ポルトガル船が豊後に漂着した1541年。因みにエンリケ航海王子は泳げず、航海に出たことはない。

 夕闇が深まったうえ、傘をさしての撮影で思うような写真が撮れない。バスでリスボンの中心街を巡る。人口は減少傾向にある。

 6時半、夕食のレストランへ。昨夜と同じ元船乗りの夫婦と向かい合わせとなる。スペインの航空管制官のストで行けなかったセゴビア、アビラ観光は、当日キャンセルなので返戻金はないという。そのかわり夕食のワンドリンクが無料となる。生ビール、野菜サラダ、鰯のグリルにプリンアイスクリーム。

◆左・右上:夕食のレストラン  右下:鰯のグリル

 8時頃ホテルへ。4つ星だが、デラックスホテル。添乗員のアドバイスを受け、明日は、午前のみオプショナルツアーに参加し、午後はフリーでリスボン市内を散策することにする。疲れていて入浴後、娘にメールを入れてすぐ眠りに落ちる。

◆ホテルのロビー

 旅の6日目の12月9日、朝食のレストランは中国人か韓国人の団体がいて、やかましさに閉口する。食事の内容もポルトに比べて格段に落ちる。4つ星の評価に納得。

 9時ホテルを出発。ユーラシア大陸最西端のロカ岬とシントラに向かう。16℃。事故で少し渋滞。バスの窓からローマ時代の石造りの水道橋が見える。かなり長さのある橋がきれいに残っている。

◆バスの窓から見たローマ時代の水道橋

 

- 北西スペイン・ポルトガル紀行〔4〕へ続く -

 

 

 

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