僕と読書『偏愛の記』new

   

 今年6月23日で79歳になってしまいました。思えば長生きできたものです。「少年老いやすく学成りがたし」とはよく聞いてきました。
目指すは「学成就」ではなく「好奇心としての学探求」です。

 読みたいのは下記2点

1、真宗聖典より「教行信証」
山辺、赤沼共著「教行信証講義」
2,鈴木大拙全集

「鎌倉新仏教」・・・法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・栄西(臨済宗)・道元(曹洞宗)・日蓮(日蓮宗)・一遍(時宗)によってはじめられた6宗を指す。

 日本の仏教は鎌倉新仏教によって大成され、ここに極まっている。この中での親鸞(浄土真宗)の探索。
 親鸞は学者と思われ、最初に結論を述べその結論を立証するために仏典を引用している。
 山辺、赤沼共著「教行信証講義」は名著でこれ以上の注釈書はない。でもあくまでも注釈であり著者の理解以上の解釈は出てこない。だから原書に突進する。

 鈴木大拙は日本を始め世界中の学者が追求した方。ただ大拙自身は何と言っているかというと「はなはだ意に沿わない。外国の学者が拙著を翻訳し、それを日本の学者がまた翻訳しているから複雑なのである。」と述べている。それで注釈書は読まない。英文、漢語とも堪能な大拙は一切の言語を駆使して「さあ、ここまで来てご覧」と言っている。ただその境地が人類未踏の地なので人には素直に入れないのです。

 入るには人の努力では入れません。ある方の力が必要です。その力をいただくためには継続して読み続け、「探求心」を捨てないことです。

 79歳にもなっての座右の書が上記です。少しずつでも紐どいて行きます。
 追求するのは学ではありません。ただ求めているだけです。

 コラムの広場に投稿されている方々は人生の成功者が多く、私などは参加するのがお恥ずかしい限りの人生です。

 鎌倉仏教(かまくらぶっきょう、英語: Kamakura Buddhism)は平安時代末期から鎌倉時代にかけて新たに広まった日本仏教の宗派を総称して使用される。奈良、平安時代の旧仏教の鎌倉時代における復興も含めて鎌倉時代の仏教全体を総称して使用される場合もあり明確な規定はない。

 そのため新しく広まった仏教の宗派のみを区別して、「鎌倉新仏教」と呼称する場合があり、その場合は、法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・栄西(臨済宗)・道元(曹洞宗)・日蓮(日蓮宗)・一遍(時宗)によってはじめら6宗を指す。

 

 

 

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