万葉集から演歌まで 好きな詩・短歌・俳句・歌詞を教えて下さい。  ( 023 さよならだけが人生ならば 寺山修司 )       ( 024 馬敗れて草原あり 寺山修司 )

      2024/01/29

市丸 幸子

 

 「寺山修司が好きなの?」

 デスクに置いた「書を捨てよ、町へ出よう」の本を見つけ、A君が話しかけてきたのは私がまだ初々しいコピーライター見習いだったころ。それが二人の出会いだった。そのころ勤めていた広告企画制作会社に、中途で入社してきた彼は、寺山修司が主宰する「天井桟敷」の元劇団員という不思議な経歴の持ち主だった。

 詩人、歌人、劇作家、映画監督など多岐にわたる分野で、既成の価値観にとらわれない奇才ぶりを発揮した寺山修司。正直なことを言うと、スキャンダラスでアナーキー、暗い情念という言葉が似合いそうな寺山修司の作品を、ほとんど理解できない私だったが、A君の口から語られる寺山修司の詩は美しい調べをもって心を満たしてくれた。

 

(JASRACよりの、「著作権法第21条の複製権及び第23条の公衆送信権(送信可能化を含む。)」を侵害したとのご指摘により、歌詞は2024年1月25日削除」

   これは、井伏鱒二が唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」の「人生足別離=人生別離足る」を 「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳したことを取り上げ、それを受けた詩を発表したものだとA君に教わって、寺山修司へのイメージが変わった。
   寺山修司は競馬好きということで、A君も競馬馬に人生を重ねながら、お気に入りの馬たちの話を嬉しそうにしてくれた。休日は、京都祇園町南の花見小路にあった場外馬券売り場に通ったこともある。
 そんな楽しい日々が1年ほど続いたころ、別れは突然やってきた。A君が失踪したのだ。その日風邪で社を休んでいた私は、次の日、A君がクライアントから預かった原稿をもったまま、忽然と姿を消したことを聞かされた。
   取引先とも大学とも縁のない東京の路地裏を彷徨っているところを、ご両親が発見し、家に連れ帰ったということだった。社内の混乱は言うまでもないが、私の頭の中も「なぜ?」「どうして?」「私が救ってあげればよかったのでは?」との疑問符が渦巻き、何年もその答え探しに苦しんだ。    
     後年、寺山修司の競馬エッセイ集「馬敗れて草原あり」を読み、A君を思いだした。

涙を馬のたてがみに 心は遠い高原に

八頭のサラブレットが出走するならば、そこには少なくとも八編の叙事詩が内包されている・・・。

A君の折れやすい心を想い、涙が止まらなかった。

 

 

 

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