万葉集から演歌まで 好きな詩・短歌・俳句・歌詞を教えて下さい。  ( 016 坊がつる讃歌 017 信濃の恋唄 宮本義海 )

      2021/08/19

宮本 義海

 私の少年期・青年期は、ただただ山に登る人生でした。

 小学校6年生の夏休みに、ある先生が希望者を九州の最高峰久住山に連れて行って頂ける機会がありました。何を考えてか判りません、元気が余っていたのでしょう、参加したのはよいのですが、頂上に着く頃には、雨の中足首を挫いた足を引きずっての惨憺たる登頂でした。

 中学生になると、いつの間にか背振山や宝満山など近郊の山を一人で歩き回るようになっていました。

 福高時代には、これら近郊の山々に加えて、久住山や英彦山、由布岳などにも足を延ばしていましたが、その頃一番好きだったのが、かつて泣く泣く登った久住山で、坊がつるや大船を歩き回っていました。当時よく歌っていたのが「坊がつる讃歌」です。

坊がつる讃歌  作詞:神尾明正/松本征夫  作曲:竹山仙史  歌:芹 洋子

 人みな花に 酔うときも 
 残雪恋し 山に入り 
 涙を流す 山男 
 雪解の水に 春を知る

 ミヤマキリシマ 咲き誇り 
 山くれないに 大船の 
 峰を仰ぎて 山男 
 花の情けを 知る者ぞ

 四面山なる 坊がつる 
 夏はキャンプの 火を囲み 
 夜空を仰ぐ 山男 
 無我を悟は この時ぞ

 出湯の窓に 夜霧来て 
 せせらぎに寝る 山宿に 
 一夜を憩う 山男 
 星を仰ぎて 明日を待つ

◆坊がつる讃歌の碑

 「坊がつる」は、九重連山の主峰・久住山と大船山などに囲まれた、標高約1,200m付近に広がる湿原です。この歌は、1952年(昭和27年)に坊がつるにある山小屋で、九州大学の学生3人によって作られた『坊がつる賛歌』が元歌と伝えられています。1978年(昭和53年)に、NHKの「みんなのうた」で芹洋子さんが歌ってヒットしましたから、皆さんの記憶にもあると思います。

 大学に進んでからは大阪に引っ越し、大学の山岳クラブに入り北アルプスを中心に岩登り、雪山に明け暮れていました。3年次の前後には一年の約半分の通算180日ほど山に入っていた時もありました。勉強には全く縁がありませんでした。

 その頃は、「穂高よさらば」や「信濃の恋唄」などをよく歌っていました。

信濃の恋唄  作詞:渡辺貴行  作曲:渡辺貴行

 俺の心はよ 穂高の峰々よ 
 逸る心はよ 針ノ木、五竜だよ

 白馬下ればよ コマクサ咲いてよ 
 思い出すのはよ あの娘の笑窪だよ

 いつか二人でよ あの峰超えてよ 
 ともに語るはよ 二人の幸せばよ

 なぜに嘆くかよ 薄雪草がよ 
 逝きしあの娘はよ かえりはせぬによ

 遥か連山に 雪煙望めばよ 
 風はささやくよ 信濃の恋唄だよ

 この歌は古くから色々な歌詞で歌われていたようです。新宿の歌声喫茶でも聴いたことがありました。

 大学3年次の正月の北アルプス北穂高岳で幕営していた時、無線トランシーバーに飛び込んできた声が、福高登山部の同級生の永井利明君でした。

 彼は確か剣岳か立山だったかと思います。お互い吹雪に閉じ込められて苦戦していた時で 互いの健闘を称えエールを交わしました。懐かしい経験です。

◆北穂高岳幕営

 こんな山の歌ばかり並べていると、都会の生活に馴染めなかった暗い学生だったんだなとつくづく思います。

 

 

 

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