ワルシャワそしてサンクトペテルブルグ <後編>

      2018/09/21

◆エカテリーナ宮殿

 

ストロガノフ宮殿で豪華なディナー

 バルト3国を抜けてロシアとの国境に着いたのは午後1時半。20分後にエストニアを出国。定期の路線バスの割り込みに添乗員が抗議に行くも、入国審査官が逆切れし逮捕せんばかりの勢いに退散。再度のパスポートチェックを経てロシアに入国したのは3時半。出だしからロシアの印象は頗る悪い。国境のアパートの壁は剥がれ、走行する車も貧しい。

 バルト海沿いの道を走り6時、サンクトペテルブルクに到着。高層アパートが林立するロシア第2の大都会に入り、大渋滞。街での一人歩きの危なさをガイドが説明する。大勢の人中でも数人で取り囲み金品を強奪するという。

◆美味しい料理と白ワインでロシアの印象が俄然アップ!

 ロシア入国最初の夕食は、本場の豪華なビーフストロガノフのフルコースをストロガノフ宮殿で楽しむ。サーモン、イクラなどの前菜、円形に固めたサラダ、口直しのシャーベット、メインはビーフストロガノフ。白ワインが合って実に美味しい。悪かったロシアの印象もこれで半分以上回復。岡山、滋賀、岩手、大阪と各地から集まった人達との会話もまた楽しい。ホテルへの帰途、10時近いのにエルミタージュ美術館が夕陽を浴びて美しく輝いていた。

◆メインのビーフストロガノフ

◆サーモンとイクラの前菜

◆円形に固めたサラダ

◆デザートのケーキ

 

朝3時には白夜が明けて・・・

 サンクトペテルブルクは白夜の時季で、朝の3時にはもう十分明るい。北のベニス、芸術の都の観光は、ピョートル大帝像のある旧海軍省、1858年に建った世界最大の教会建築のひとつイサク聖堂、「血の上の救世主教会」と進んだ。

◆イサク大聖堂 

◆旧海軍省とピョートル大帝像

 「血の上の救世主教会」、この禍々しい名前は、1881年3月13日、皇帝アレクサンドル二世がこの地で暗殺されたことに由来する。福音書の悲劇的テーマに基づくモザイク装飾をまとった教会は、逆に煌びやかな印象を受ける。内部の壁や柱がすべてモザイク画。外観に劣らず煌びやか。

◆血の上の救世主教会  暗殺された悲劇の皇帝の跡をついだアレクサンドル三世によって建設された。

◆血の上の救世主教会内部 

◆教会内の壁や天井を埋めつくすモザイク画、その精緻な装飾や芸術性の高さには目を見張るばかり。

 

運河が巡る”北のヴェネツィア“――サンクトぺテルブルク

 サンクトペテルブルクのブルクはドイツ語で町、要塞の意。今が観光のベストシーズン、どこも観光客であふれている。今年は5月まで雪が降り、開花が遅れた紫や白のライラックの花が満開で美しい。街の真ん中にネヴァの大河がとうとうと流れる。平凡だが記念に民芸品ペトリョウーシカを買う。昼食は、ギリシャ風サラダ、ペルメリ(ロシア風ギョーザ)、デザートにブリンツ、トルコ風コーヒー。食後、ネフスキー大通りを散策。 かつてレニングラードと呼ばれロシアの首都だった。重厚かつ壮麗な建物が建ち並ぶ街は古都の趣だが、18世紀初頭になって作られた歴史の浅い街。

◆サンクトペテルブルクの市街を貫くネヴァ河

◆ネヴァ河とエルミタージュ美術館

◆ネヴァ河とサンクトペテルブルクの街

◆左:ネヴァ河岸の燈台  右2枚:サンクトペテルブルクの市街、紫のライラックの花が美しい.

 

女帝が愛した夏の宮殿

 午後、大黒屋光太夫が通った道を経てサンクトペテルブルクの南25㎞にあるプーシキンへ。訪れたのは世で最も豪華な王朝ロマノフの素晴らしさが体感できるエカテリーナ宮殿。涼やかな青に塗られたロシア・バロック様式の建物は、18世紀半ばに建てられた。装飾の細部の仕上がりの見事さに感嘆。

◆エカテリーナ宮殿 ピョートル大帝が彼の后、後のエカテリーナ一世に贈った夏の離宮。

 サンクトペテルブルクには皇帝達が暮らした夏の宮殿と、冬の宮殿があったが、ここは夏の宮殿。フランスのベルサイユ宮殿を凌ぎヨーロッパ1の広さを誇る黄金の間と呼ばれる超豪華な広間がある。テニスコート3面分1000㎡の広さ。全部で9トンもの純金が使われた装飾は鏡に反射して広間一面に広がり眩いばかりの輝きで包まれている。女帝エカテリーナ二世が各国大使を謁見し、盛大な宴を催した。建物を貫く真っすぐ伸びた廊下は300mに達する。

◆エカテリーナ宮殿内部

 宮殿で最も美しいのが琥珀の間。ヨーロッパで珍重された琥珀が壁一面にびっしり埋め込まれ、色や形の微妙な違いを巧みに利用して模様を作り出している。その豪華さには言葉を失う。残念ながら撮影は許可されていない。庭園を散策。

◆エカテリーナ宮殿庭園

 今日が誕生日の同行者が夕食の後、ホテルから大きなケーキを贈られる。おすそ分けに預かった皆でハッピーバースデーを唄っていたら、近くに居合わせたロシア人のグループも合唱の輪に加わり、大いに盛り上がる。

 

人類の至宝――エルミタージュ美術館へ

 6月9日、サンクトペテルブルクは雨の朝を迎える。テレビのニュースに天皇陛下の姿が写されて驚く。ヨーロッパで日本のニュースが流れるのは極めて稀。退位法が成立したのか?

 エルミタージュ美術館に開館前に優先入場。ロシアが世界に誇る美の殿堂。2014年に開館250周年を祝った。かつて冬の宮殿で、建物自体が美術品。4時間半をかけてヨーロッパの絵画やエジプトの遺物や芸術品を楽しむ。300万点の収蔵品を誇り、全展示室を歩くと20㎞にもなる世界屈指の美術館、半日ではとても観きれるものではない。少なくとも1週間はかかるという。撮影自由なのが嬉しい。エカテリーナ二世がヨーロッパの王室や貴族に倣って美術品を収集し、名画を国民に披露することで文化の力を高めようとした。

◆エルミタージュ美術館内部

 世界で20点しかないレオナルドダビンチの作品。「ブノワの聖母」は若き日の代表作。ベネチアの巨匠ティツィアーノの「改悛するマグダラのマリア」。画家の王と呼ばれ作品は王侯貴族垂涎の的だった。 

◆左:ブノワの聖母 中:ティツィアーノ「改悛するマグダラのマリア」 右:エル・グレコ「聖ペトロと聖パウロ」

 エカテリーナが最も収集に力を入れたのはオランダの巨匠レンブラント。若い頃から晩年までの傑作が24点揃っている。初期の代表作「フローラに扮したサスキア」はギリシャ神話に登場する王女ダナエが神に見初められる劇的な場面。光の描写で王女の内心まで表現している。最晩年に聖書を題材に描いた「放蕩息子の帰還」は最高傑作の一つ。放蕩のあげく財産を使い果たして帰って来た我が子を親は抱きしめ祝福を与える。光に照らされた父親の慈悲の表情が素晴らしい。

◆レンブラント 左:フローラに扮したサスキア 右上:ダナエ 右下:放蕩息子の帰還

 

人として女性として、栄華をきわめたエカテリーナ二世

 エ18世紀にロシアをヨーロッパの列強に肩を並べる一流国に成長させたエカテリーナ二世の銅像がサンクトペテルブルクの中心に建っている。サンクトペテルブルクの街は、ピョートル大帝がバルト海に注ぐネヴァ川の河口に広がる湿地を埋め立てて作らせた軍事都市が始まり。エカテリーナ二世の時代に橋や運河が整備され統一感のある街並みが生まれ、美の都に変わった。白夜の頃の街はひときわ輝く。

 恋多き女帝には生涯12人の愛人がいた。その中には、オスマントルコが支配していたクリミア半島を併合しロマノフ王朝の領土拡大を実現したグリゴリー・ポチョムキンがいる。その後エカテリーナはユーラシアの東西を束ねる最大の領土を実現している。エルミタージュ美術館にポチョムキンがエカテリーナに贈った孔雀の仕掛け時計がある。

 根を詰めての美術鑑賞は疲れる。帰国便ではよく眠れた。極寒のサンクトペテルブルクもいいらしい。
機会があればまた訪れてみたいと感じた旅であった。

 

 

 

 

 

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