ボヘミアの古都プラハ・ベルリンとドナウ旅情(7)

      2022/10/02

- 漁夫の砦 -

 

 

 

ウィーンを発ってハンガリーに入国

 旅も7日目を迎えた2007年5月27日(日)朝5時、カッコウの啼く声に目が覚める。蚊に悩まされることもなく爽やかな目覚め。快晴が続く。美味しい食事がとれて満足。ツァーの添乗員は、通常レストランの前で皆を迎え案内してくれるのだが、我が添乗員の姿はない。昨夜、オプションのコンサートからホテルに戻ったときも出迎えがなかった。かなり手抜きしている。

 昨夜日本の娘に電話をかけるのにミスして何回もかけ直したので、高額の請求をされるのではないかと気になっていたが、2.9ユーロ(490円)で済みホッとする。ホテル前の停留所に写真を撮りに行ったが、肝心のトラムはなかなか来ない。

◆ホテルの前のトラムの停留所

 8時前ウィーンのホテルを出発。駐車場には12台もの大型バスが止まっている。400人くらいの団体客が泊っていた勘定になる。ガイドブックを読むうち、8時54分ハンガリーとの国境に到着。パスポートチェックを経て、9時9分通過。早速ハンガリー・フォリントに両替。30ユーロが7,080フォリント。1フォリント=0.74円。

 女性陣は昨夜のシェーンブルン宮殿コンサートの話題で大いに盛り上がり、街頭で客引きしているミニコンサートで済ませた人たちが残念がっている。大平原を走って、10時半、パンノンハルマのベネディクト修道院着。

 

現在もおよそ40名の修道士が共同生活を送る

 世界遺産のベネディクト修道院は、町に隣接する小高い丘(282m)の上にあり、ハンガリーでは最古級の歴史的建造物。996年ハンガリー初のベネディクト会修道院としてゲーザ大公によって創設され、ベネディクト会士たちの拠点となる。一度破壊されたが1137年に再建され、1486年には国王マーチャーシュ1世のもとでゴシック様式に改築された。

現存するハンガリー最古のパンノンハルマのベネディクト修道院:スライドショー(横5枚、縦1枚)

 1541年に大修道院となり、16世紀から17世紀にかけてのオスマン帝国のヨーロッパ侵攻にあわせて要塞に転用された。オスマン帝国の1世紀半に及ぶ支配のあとで、損傷した建造物群が再建される。17世紀と18世紀にバロック様式による豊かな装飾が施され、拡張された。1832年に古典主義様式で建てられた図書館や塔も備えた現在の形になる。
 10時半から1時間の見学。歴史を感じさせる重厚な図書館に多くの感嘆の声が漏れる。

修道院内の図書館:スライドショー(縦1枚、横3枚)

◆丘の上の修道院からの眺め

◆緑鮮やかな修道院の庭

 12時過ぎ、修道院の丘の麓のレストランへ。スープ、ポークソテー、ライスにデザートがクレープの昼食。ビール500フォリント(360円)、梨ジュース300フォリント(220円)。オーストリアに比べるとかなり安い。

◆左)修道院の丘の麓のレストラン、右上) ポークソテーとライスのメインディッシュ、右下)レストラン前からベネディクト修道院を望む

 ドナウベント地方に向けて1時に出発。2時45分、ブダペストの北西60kmにあるハンガリー建国の地エステルゴムに着く。
 ウィーンからスロヴェキアを通って東に流れてきた大河ドナウは、ハンガリーに入ると急に向きを変えてブダペストに向かう。このドナウ川が弧を描く辺りをドナウベントと呼ぶ。ヨハンシュトラウスが「美しき青きドナウ」を作曲したのは、ドナウベント地方といわれている。

 エステルゴムは、13世紀半ばモンゴルの襲来により壊滅的な打撃を受け、ブダへ遷都された。17世紀からカトリック総本山が置かれ、宗教上重要な町として今日に至っている。

エステルゴムの丘に聳え立つハンガリーカトリックの総本山

 エステルゴムの高台に聳える大聖堂は、幅48m、長さ118m、ドームの高さ100mのハンガリー最大の教会。改築されて19世紀後半に完成した。

エステルゴム大聖堂とその内部:スライドショー(横10枚、縦1枚)

◆左)大聖堂のある丘の上から町並みとドナウ川を望む、右)ドナウベント・・・ヨハンシュトラウスの「美しき青きドナウ」はこの町で生まれた

 ハンガリーは、今日、明日と降臨祭で連休。小さい子供2人を連れた日本人夫婦と言葉を交わす。在住5年になる民間企業の駐在員、休日ごとに家族で小旅行を楽しんでいるという。安くて品質がいいスズキの車が、二番目に売れていると誇らしげ。

 いつの間にか小銭入れがなくなっている。中身は30フォリント(21円)のみで被害は少なかったが… 使い易い小銭入れで愛用していた。

独特の文化の薫りにひかれて芸術家たちが移住

 3時半出発。ブダペストの北20kmにある小さな美しい町、センテンドレへ向かう。4時過ぎ着。町の歴史は、14世紀にセルビア人やギリシャ人がオスマントルコの襲撃から逃れて来たのが始まり。その後、トルコの支配下に置かれるが、17世紀末にセルビア人6000人が定住した。彼らの多くは手職人や商人で、町に独自の文化、習慣、建築様式を植え付けた。20世紀になると、この町に魅了されて多くの芸術家たちが移り住むようになる。小さいながら美術館、博物館が14もある。

センテンドレの街:スライドショー(横3枚)

 丘の上に立つブラゴヴェステンスカ教会は、14世紀頃の教会を基礎としている。トルコの襲撃で破壊された後、18世紀の後半に現在のバロック様式に建てかえられた。

 土産物屋が並ぶ狭い道にはたくさんの人。4時15分、街の中央広場でフリータイムとなる。広場のドナウ川よりの角にはセルビア正教のブラゴヴェステンスカ教会が建っている。小高い丘に登り、赤茶色の屋根瓦が連なる美しい風景を眺める。

◆左)中央広場に建つブラゴヴェステンスカ教会、右)赤茶色の屋根瓦の家々

 広場に戻って、色鮮やかな藍染の店や赤いトウガラシの店を覗く。日曜日でドナウ川には遊覧船が運行し、家族連れで賑わっている。今日はハンガリーの子供の日だという。

◆藍染めの店

◆唐辛子の店

◆ドナウ川 ドイツ南部を水源とし、10カ国を流れて黒海に注ぐ。全長は2,850 km。

 5時15分出発。20分後にはブダペスト市内着。ブダは水、ペストはカマドの意。街の中に30℃の表示が出ている。爽やかな季節を選んで来たはずなのに、旅の間中ずっと暑い日が続き歩くのがしんどい。持って来たのは長袖のシャツばかりで、半袖は数枚。

 6時前レストランへ。歩き廻って渇いた喉に地ビールが何とも美味しく、大500mlだけでは足りず小300mlを追加注文。ジュースと合わせて1,400フォリント(1,010円)。ブロッコリーのスープがけっこう美味しい。メインはパプリカチキンとニョッキ。3人の楽団が、テーブルの間を演奏して回っていた。同じテーブルの4人連れが喜んで盛んに手拍子を打っていた。チップも上げずに……。

◆左)ブダペスト 夕食のレストラン、中)テーブルの間を3人の楽団が演奏して回る、右) パプリカチキンとニョッキのメインディッシュ

 

異国のホテルで第69代横綱白鵬の誕生を知る

 7時40分過ぎヒルトンホテル着。1人25,000円(2泊)プラスしてホテルをグレードアップして正解だった。ドナウ川の見える部屋ではなかったが、ゆったりした立派な造りで、観光名所に隣接しロケーション抜群。基本コースのホテルは、ここからバスで25分先の周りには何もない郊外。
 コーヒーを沸かして飲みながら、NHKのBSで大河ドラマ「風林火山」を見る。松岡農水相自殺のニュースが流れていた。

 シャワーを浴びて、9時半、夜景を見に出かける。ホテルからすぐ近くの「漁夫の砦」がライトアップされ、幻想的。夜間は入場無料で楽しめる。砦から眺めるペスト地区が美しい。ドナウの流れや「くさり橋」、聖イシュトバーン大聖堂、マーチャーシュ教会、国会議事堂がくっきり見える。ホテルに戻り、BSニュースで白鵬の全勝優勝を知る。第69代横綱に。

ライトアップされた魅惑の建造物群を一望する絶景スポット

漁夫の砦 夜間は無料:スライドショー(横5枚)

◆左)ハンガリーを代表する美しい橋「くさり橋」、右) 中央に見えるのが国会議事堂

◆左)右はマーチャーシュ教会、左に見えるのが漁夫の砦、右上・下)宿泊ホテル近くのマーチャーシュ教会

 

- ボヘミアの古都プラハ・ベルリンとドナウ旅情(8)へ続く -

 

 

 

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