ベネルクス3国とドイツ中西部を巡る旅 (1)ドイツ、ルクセンブルク編new

      2024/06/24

ドイツ・ケルン大聖堂内の祭壇

(いつものように写真のクリックで、拡大写真を見ることが出来ます。)

 

〈金婚記念〉の2024年5月、5年ぶり30回目のヨーロッパへ 

 ヨーロッパにはこれまで29回訪れ、32ヶ国を巡った。8月には79歳。元気なうちに好きな国々をもう一度訪ねようと、結婚して50年になる5月の4日から11日までベネルクス3国とドイツ中西部を巡る8日間の旅に出た。2019年7月にスイスアルプスのハイキングを楽しんで以来5年振り、30回目の欧州である。

 2008~9年、当時長女一家が住んでいたオランダを訪れ、ベルギー、ドイツ3ヶ国を娘や幼い孫2人と、あるいは夫婦2人の個人旅行でのんびり巡った。今回は、ツアーに参加してそれら想い出深い都市や町を効率よく回る旅であった。

 ロシアのウクライナ侵攻の影響か、往きの飛行コースは北海道からカムチャッカ半島の東を北上し、ベーリング海、北極海とグリーンランド上空をかすめて飛び、北海からオランダ・アムステルダムに入るもの。関西空港からKLMオランダ航空の直行便で、14時間の長旅はさすがに応えた。

 アムステルダム近郊での1泊目はほとんど眠れないまま、朝を迎えた。

5月5日(日)、オランダから大型バスでドイツのボンへ  

 8時10分ホテルを出発。山のないまっ平なオランダの大地をひた走る。高速道路をかなりのスピードで走行するので、地道や列車でのんびり走る趣はないが、ユトレヒトやアールスメイルなど懐かしい地名の標識が次々に現れるので飽きることがない。

 アムステルダムからバスで300km近く走りドイツのボンへ。参加者16名ながら大型のバス。1人2席利用のゆったり旅。我々中高年の夫婦4組や女性同士の2組は遠く、近くに別れて座ったが、宮崎から参加の1組を含め2組の新婚カップルは常に肩寄せ合って座っている。

 休憩で立ち寄ったサービスエリア。1ユーロ(€1=173円)の有料トイレは、使用後€1の金券が出てきて、売店で使えるシステムになっている。今、日本でも流行っているドイツの銘菓?ハリボー€2.99(520円)を買うのに利用する。

歴史ある学園の街――ボン

 11時45分、初めて訪れるボン市内に入る。駐車場から歩いて広大なボン大学のキャン
パス、オレンジ色の美しい校舎を抜け、市庁舎前を経てマルクト広場へ。

◆ボン大学キャンパス

◆マルクト広場

 かつて西ドイツの首都だったこの町は、静かなライン河畔に広がる品の良い小都市。古くからの大学町で、楽聖ベートーヴェンが生まれた地として知られる。

◆ボン市庁舎

◆マルクト広場

◆ボン市街

 12時10分過ぎ、レストランへ。南ドイツ・シュヴァーベン地方の郷土料理マウルタッシェン、ポテト、ミックスサラダの昼食。ほうれん草とひき肉、ナツメグをパスタ生地に包んで、スープ仕立てにしたマウルタッシェンはドイツ風餃子。午後の観光を考えてアルコールは控え、妻と同じ黒スグリのジュースにする。€4(690円)。デザートはアイスクリーム。

左) 昼食のレストラン、右) 郷土料理マウルタッシェン(ドイツ風餃子)

◆ボン市街

〈楽聖〉の魂を育んだベートーヴェンハウス 

 1時半、徒歩でレストラン近くのベートーヴェン(1770~1827)の生家、記念館へ。旧市街北部のボンガッセ小路にある。日本語の音声ガイドを聴きながら小1時間の見学。

左) ベートーヴェンハウス、右) ベートーヴェン記念館正面

 ベートーヴェン自筆の楽譜や“永遠なる恋人”テレーゼの肖像画、父親が息子を音楽界に神童として紹介したときの広告文、使用したピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラなどの楽器、メガネ、補聴器、デスマスクなどを観て回る。2階のベートーヴェンの生まれた部屋には大理石の胸像が置かれている。家の裏手にもロダンの造った胸像がある。

ベートーヴェン使用の 左) メガネ、中)楽器類、右) ヴァイオリン

ベートーヴェン使用の 左) ヴィオラ、中)右) ピアノ

左) 中) ベートーヴェンのデスマスク、右) ベートーヴェンの楽譜

左)ベートーヴェン使用の補聴器、右) 宮殿での音楽会の模様を描いた絵画

左) ベートーヴェンハウスの裏庭、右) 裏庭から見たベートーヴェンハウス

左)、中) ベートーヴェンの肖像画、右) マルクト広場と市庁舎(右)

 この後ハリボーのアウトレットショップに行く予定だったが、日曜日で閉店。

ライン河畔にたたずむドイツ第4の都市――ケルンは街じゅうが博物館 

 2時40分、25km離れたケルンに向けて出発。人口1,100万人、ドイツ第4の都市。ライン河に面し、フランス風にコローニュとも呼ばれ、ライン地方の文化や工業の中心。ライン河畔にそそり立つケルン大聖堂が象徴する長い歴史を誇るドイツ有数の古都。ケルンの語源はコロニア(植民地)からきている。

 紀元前50年頃からローマ帝国直属のニーダーゲルマニア州の州都として栄えた。4世紀にはローマのコンスタンティヌス帝によって司教管区が開かれ、以来大司教の強い力のもと大聖堂はじめ150にものぼる教会が建てられる。中世期にはドイツ最大の都市として繁栄。1360年には第1回ケルン見本市が開かれている。1475年ハンザ同盟に加わり、北のリューベックとその経済力を競う。

 旧市街はドイツで最大の規模を持つ。ライン河の西岸に半円形に囲まれ、そこから放射状に新市街が美しく広がっている。第二次大戦でその大部分は破壊されたが、見事に再建されている。

ケルン大聖堂—―おごそかな祭壇に戦乱の終結と人々の平穏を祈りたい 

ライン河に架かる橋の上から見たケルン大聖堂

 ライン河の水面から15mの高台に建つケルン大聖堂。あたりを威圧するように聳える二つの尖塔は高さ157m。堂宇は奥行き144m、幅86mあり、ヨーロッパ有数のゴシック様式の大建築。1248年の起工以来600年を経て1880年に完成。正面の装飾はとくに美しく精巧を極め、堂内には5ヶ所に見事なステンドグラスがあるほか、数々の歴史的美術品が所蔵されている。4世紀と13世紀に焼失し、現在の大聖堂は3代目。

左)ケルン大聖堂正面2本の尖塔、中右) ケルン大聖堂正面

 3時半入場。2009年12月クリスマスの時期、長女や孫たちと来て以来およそ15年振りの再訪。この日も多くの観光客が訪れている。椅子に腰かけてしばし聖壇を眺める。緻密に描かれた巨大なステンドグラスの数々は圧巻。ただただ見とれるばかり。入口には折角訪れたのに入場制限の4時に間に合わず、中に入り損ねた人たちが大勢いる。
 外に出て真っ青な空に聳える2本の尖塔を見上げると、覆いかぶさって倒れてきそうな感覚に捉われる。

ケルン大聖堂内部のステンドグラス『1』

ケルン大聖堂内部のステンドグラス『2』

ケルン大聖堂内部の祭壇『1』

ケルン大聖堂内部の祭壇『2』

ケルン大聖堂内部

左)ケルン大聖堂内部の黄金の棺、中)右) ケルン大聖堂正面

 5時ホテルへ。6時半に夕食。生ハム、鴨、野菜、チーズの前菜。これだけでも十分な量なのに、メインに白身魚と、パスタが出る。デザートはストロベリーとミルク。白ワインと黒スグリのジュースで€10.20(1,760円)。同席したご夫婦は結婚27年。ご主人、次は120日間の世界一周クルーズに行きたいと言い、奥さんは、退屈な船旅より飛行機で行く旅がいいと言う。

 食後、ホテル前の大きな池の周りを散策。8時前でも十分に明るい。たくさんのカナダガンが悠然と池面を巡り、白鳥は6羽のひな鳥を連れて忙し気に行き来している。

左) 夕食の前菜、中) 夕食のメインの白身魚とパスタ、右) 白鳥の親子

5月6日(月)、初めての訪問国ルクセンブルクへ 

 旅の3日目、ドイツ・ケルンで朝を迎える。曇り空で気温は9℃。6時半に朝食を済ませ、8時ホテルを出発。194km離れたルクセンブルクに向かう。
 朝靄に霞むドイツの村々(集落)は何とも風情があり、幻想的。墨絵の世界に、所々に突然黄色い菜の花畑が現れる。10時半国境を越える。個人では行き難くルクセンブルを訪れるのは初めて。ヨーロッパ33ヶ国目。強い雨がバスのフロントガラスに打ちつけ、ワイパーが激しく動く。11時前、ルクセンブルク市中心部に着く。雨は小降りとなったが傘をさしての観光となる。14℃。

 古代ローマ時代にはケルト人が住み、進歩した農耕、牧畜、手工業が営まれていた。フランスとドイツを結ぶ街道の要衝として栄え、963年にアルデンヌ伯が岩山の上に要塞を築いたのがルクセンブルク市の始まり。
 しかし、1443年にフランスのブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンが城塞を占領したのを皮切りに、欧州各国の支配が続く。その後も第一次、第二次世界大戦とドイツに占領されるが、戦後は、鉄鋼業が経済を支え、1970年代から金融、保険、ITが発展。世界有数の金融センターとしての繁栄をもたらした。一人当たりGDP世界一位、生活水準も世界で最も豊かな国の一つとなった国の豊かさがそこここに見てとれる。日本からも銀行、証券、保険の多くの金融機関が進出している。

 繁栄の要因の一つに、国民が外国語を自由に使いこなせることがある。小学校の1年生から毎日ドイツ語の授業を受ける。ドイツ語はルクセンブルク語に近く、子供が覚えやすいからだという。理科や社会など一般授業にドイツ語の教科書を使用しているので、小学生で完璧なドイツ語を話せるようになる。フランス語は小学校2年生から。英語も中学・高校に入ると多くの授業があり、徹底した語学教育によってルクセンブルク人のほとんどが独、仏、英の3ヶ国語を自由に使いこなせるようになる。

 さらに、ルクセンブルクがヨーロッパの心臓部に位置する地理的好条件がある。また、ヨーロッパ連合の強力な推進国であったことも大きい。1944年にベルギー、オランダとともにベネルクス関税同盟を創設し、後の欧州共同体という大きな経済同盟の第一歩となった。1970年、欧州通貨統合を初めて具体的に提案したのもルクセンブルクの元首相ピエール・ヴェルナーである。

 ベルギー、フランス、ドイツに囲まれたルクセンブルク大公国は、人口66万人。国土面積2,586㎢で神奈川県や佐賀県とほぼ同じ大きさ。ルクセンブルク市から車で30分も走れば、ドイツやフランス領に入ってしまう。同じ日の朝はルクセンブルク、昼はドイツ、夜はフランスで食事をする人も珍しくない。緑に包まれた森と深い渓谷を持ち、豊かな牧草地や田園地帯が広がっている。東北部には「小さなスイス」と呼ばれる小さな谷や山が多い起伏に富んだ風光明媚な地方がある。

 67の古城が点在している。そのほとんどは中世期に谷や岩山の上に建てられ、城塞的色彩が強い。多くは近年まで手付かずのまま放置されていたため、古城の構造を知ることができる貴重な遺跡となっている。

 モーゼル川左岸の丘には見事なブドウ畑が続き、小さなワイナリーが点在している。スパークリングワインを始め質の良いワインが生産されている。

 北のジブラルタルといわれ、ペトリュス川とアルゼッテ川が抉った岩山の上にあり、自然にできた水濠が町の三方を囲む、断崖を利用した城壁に囲まれた堅固な城塞都市である。
 ドイツやフランスの地方都市よりもこじんまりとしていて、半径5~600m余りの中に大公宮殿、大聖堂、ショッピング街、官公庁があり、そこを取り巻く環状道路には銀行や証券会社のビルが立ち並んでいる。

 城壁に沿った旧市街と近代的な新市街。両市街は交通の要所アドルフ橋(高さ43m、長さは84m)で結ばれ、新市街には欧州裁判所や欧州議会事務局などの国際機関が集まっている。橋の上からはペトリュス渓谷や憲法広場がよく見える。

左) ルクセンブルク中央駅地区、中) アドルフ橋と旧市街、右) ルクセンブルク国立銀行

左) ノートルダム大聖堂遠望、中) 憲法広場から見るアドルフ橋と国立銀行、右) 憲法広場からの眺め

 現地日本人女性ガイドの案内でアドルフ橋を渡り、憲法広場から通って来たアドルフ橋や国立銀行、ペトリュス渓谷の眺めを楽しんで、11時16分ノートルダム大聖堂に入場。

高い尖塔が印象的、街歩きの目印になるノートルダム大聖堂 

ノートルダム大聖堂

 1621年建立の後期ゴシック様式のイエズス会の教会。1935~38年に拡張された。北側入口部分は、ルネサンスとバロック様式からなる。2本の細い尖塔、丸天井、放射状に延びた祭室に特徴がある。先代大公とベルギー王女がここで婚礼式を挙げた。正面の説教壇の後ろにあるステンドグラスには十字架にかけられたキリスト像が描かれている。

ノートルダム大聖堂の内部『1』

ノートルダム大聖堂のステンドグラス『1』

ノートルダム大聖堂の内部『2』

ノートルダム大聖堂のステンドグラス『2』

大公宮殿――優雅なハチミツ色の石造りのファサードが特徴 

 11時半大聖堂を後にして、街路樹の赤みを帯びた白いマロニエの花が咲き乱れる旧市街の街並みを抜ける。しばし崖下に広がるグルント(谷地区)を眺めて、衛兵のいる大公宮殿前を通る。かつては市庁舎だった大公宮殿。宮殿の正面はルネサンス様式、床から窓までの壁はスペインのムーア人の影響を受けたマクラメ様式の質素な外観。

大公宮殿

左)大公宮殿の衛兵 中左)中右)右) ルクセンブルク旧市街

左) ギョーム広場とギョーム2世騎馬像 右) 憲法広場からアドルフ橋、国立銀行を見る

中世の街並みにタイムスリップ――ルクセンブルク旧市街 

左) グルント(谷地区) 中)右) グルントの家並

グレールフォンテーヌ広場のシャルロット女大公像

マロニエの花

 グレールフォンテーヌ広場を通って12時、レストランへ。雨があがる。

左) 昼食のレストラン 中) 厚いハムの前菜、右) メインのステーキとポテトフライ

 ルクセンブルクならではという料理はないが、ドイツの量とフランスの質を兼ね備えた料理に仕立て上げた。自家製ソーセージやハム、田舎風に煮込んだ肉料理、地ビールや地元ワインも美味しい。
 厚いハムの前菜だけでも十分なボリュームなのに、メインにビーフステーキと大量のポテトフライが出て食べきれず。同行の人たちや妻は完食。ここでも年齢を感じる。アルコールは控えてパイナップルジュース。€3(520円)。デザートはリンゴの氷菓子。

 食後、次の目的地ベルギーのブリュッセルに向かう。

 - ベネルクス3国とドイツ中西部を巡る旅(2)に続く。 - 

 

 

 

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