ベトナム縦断紀行(前編) ハノイ・フエ

      2020/03/24

 

 

 

 

 

 ベトナム社会主義共和国

 

  ハノイ

 北のハノイから中部のダナン、フエ、ホイアン、そして南のホーチミンへと、ベトナムを縦断する1600kmの旅に出かけた。
 中部の古都は魅力に溢れ、近年日本の若い女性の間でとみに人気が高まっている。果たしてどんなところであろうか。ベトナム料理を食べ歩く「美食紀行」とも銘うった、期待いっぱいの旅である。
 ベトナムは乾季に入る11月からが観光のベストシーズン。2019年11月15日昼過ぎ関空を出発。4時間45分の飛行で、2時前に首都ハノイへ。時差はマイナス2時間。最高気温は年間を通じて32~35℃。到着時は曇り空で26℃。思っていたほどではない。それでも関空は10℃だったので、高い湿度もあって蒸し暑さを感じる。
 ベトナムで思い浮かぶのは、1975年に終結したベトナム戦争と枯葉作戦の被害児ベトちゃんドクちゃん、それにジャングルくらい。ところが今では日本に住む外国人282万人のうちベトナム人は37万人を数え、中国、韓国に次いで3番目の地位を占める。特に技能実習生として働く多くのベトナム人の若者は、日本にとってなくてはならない存在となっている。そして最近目覚ましい経済発展を遂げつつある国でもある。

 ベトナム社会主義共和国は、南シナ海に面し、インドシナ半島の東側を縁どるスリムなS字形をしている。海岸線は3260kmに及ぶ。面積は日本の88%、約33万㎢。国土の3/4は山岳地帯。山脈の切れた南には、広大な三角州メコンデルタが広がる。仏教徒が80%を占め、キリスト教徒が15%。
 全体としては、高温多湿、熱帯モンスーン気候だが、地域によってかなり異なる。ハノイのある北部は、亜熱帯気候に属し、一応四季がある。11~4月にごく短い秋冬春が巡る。この時期は雨が少なく、涼しい日が続いて1年で一番過ごしやすい季節となる。冬は4~5℃まで下がる。訪れた日は秋の終わりの頃にあたり、最低気温は18℃。
 11世紀に首都が置かれたハノイは、古都にふさわしく由緒ある寺社が多く、政治、文化の中心地。フランス統治時代に建てられた洋館や教会も多く残されている。美しい並木の整然とした道路、点在する湖や公園。街全体に落ち着いた雰囲気が漂う。人口760万人は、ベトナム全土9800万人の7.8%を占め、商業の中心都市南部のホーチミン市の800万人に次ぐ。隣国中国までの距離は400km。街中のビルは次々に建て替えられ、近代的高層ビル群が新都心を形成している。人々の服装もオシャレになり、バイクや高級車が急増している。高品質の日本製品は人気が高く、街を走る車は圧倒的に日本車が多い。特にトヨタの車が目に付く。税金が200%というレクサスも珍しくない。地震がなく、一戸建ての個人住宅は4~5階建てが多い。

 この日まず向かったのは、旧市街の西側にあるホーチミン廟。1975年9月2日建国記念日に完成した。総大理石造りの廟がバーディン広場の中心に堂々とした姿で建っている。中にはガラスケースに入ったホーチミンの遺体が安置され、純白の制服を着た衛兵が守る。周辺は博物館や寺が多い観光エリア。大使館や政府の建物が多い官庁街も近い。廟の中には入れず、外からの見学となる。

◆ホーチミン廟

 次に訪れた一柱寺は、李朝の太宗が1049年に創建した延祐寺内の楼閣。1本の柱の上に仏堂を載せたユニークな形から、この名で呼ばれている。太宗は、蓮華の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見てから、間もなく子供を授かった。太宗は夢の観音に感謝し、ハスの花に見立ててこの寺を建立した。仏堂は小さいが、ベトナムを代表する古刹。ハス池の中に浮かび立つ優雅な姿はハノイのシンボルの一つとなっている。

◆一柱寺

 文廟は、孔子を祀るため1070年に建立され、孔子廟とも呼ばれる。1076年には境内にベトナム最初の大学が開設され、数多くの学者や政治指導者を輩出した。本廟には孔子像が鎮座し、学業祈願に参拝する人が多い。西欧人の観光客の姿も目につく。19世紀の阮朝時代に建てられた大学施設の奎文閣はハノイの象徴の一つ。オレンジ色の瓦が印象的。

◆文廟(孔子廟)(1)

◆文廟(孔子廟)(2)

◆孔子像

 夕方、バーディン広場の東側にあるタンロン遺跡に。11~19世紀に栄えたベトナム王朝の城。2010年ベトナムで6ヶ所目の世界遺産に登録された。一般公開されているが5時を過ぎていて入場できず、外から眺めるだけ。

◆タンロン遺跡

 夕食のレストランでは、イベントで居合わせた小学生の一団が歓迎してくれた。海鮮鍋とフォーが美味しい。6万ドン(300円)のハノイビールは薄味。お土産屋でハスの実のお茶やコーヒーを試飲。この日の宿は外資系のリゾートホテルが林立し、北部の一大観光地になっているハロン湾沿いのホテル。

◆豊富な果物

◆ハノイビール

◆フォー

 

  ハロン湾クルーズ

 2日目、ホテルからバスで数分、クルーズ船の発着場に着く。朝8時半近く、20数名の客を乗せ、出港。靄って遠景は霞んでいる。海の桂林と呼ばれ、墨絵のように濃く、薄く大小2000余の島や奇岩が浮かぶハロン湾の眺めは幻想的。中心海域に着くと、青空が広がり、島々の姿がくっきりと浮かぶ。1500㎢。たくさんの観光船が行き交う。深いエメラルドグリーンの海は、神秘的な雰囲気に包まれている。1994年に世界遺産に登録された。
 ハ=降りる、ロン=龍を意味している。昔、外敵の侵略に悩まされていたこの地に龍の親子が降り立ち、敵を打ち破って宝玉を吹き出した。それが奇岩となり、その後、海からの外敵の侵入を防いだという。

◆ハロン湾クルーズ

 9時45分、ダウゴー島に上陸。ティエンクン(天空)鍾乳洞へ。ハロン湾にはいくつかの鍾乳洞が点在する。内部はさほど広くないが、階段や順路は整備されている。ブルーやグリーンにライトアップされ、幻想的。鍾乳石や石筍は見応えがある。
 船上でのランチはまた格別。漁船が横付けして獲れたばかりのシャコやハマグリ、カニをそれぞれ500円でその場で料理してくれる。ランチもワタリガニ、魚、イカなどボリュームたっぷりでなかなか美味しい。3時間のクルーズに満足。

◆ダウゴー島・ティエクン(天空)鍾乳洞

 夕方、ハノイに戻って、ロンビエン橋へ。ホン河に架かる1700mの鉄道橋。海の玄関口ハイフォン港とハノイを結ぶ交通の要。
1902年完成。ベトナム戦争時には何度も米軍の爆撃を受け、その度に補修されてきた。老朽化が進み、取り壊しの計画がある。

◆ロンビエン橋

 洪水のように途切れなく流れるバイクの群れ。スピードが速く信号のない道路を横切るときには恐怖を感じる。一定の速度でゆっくり歩いて、バイクの運転者に予測できるように進むのがコツだという。途中で走るのは厳禁。

◆バイクの洪水

 切れ目なく何列も密集して走っていても、事故を目撃することはない。それでも飲酒運転の多い夜や、合羽を着て走る雨の日は事故があるという。マスクをつけて走る人が多いが、排気ガス対策ではなく、日焼け防止のため。バイクは大人だと2人乗り、夫婦の間に子供を挟んだ家族4人、中には5人乗りも走っていてハラハラさせられる。
 これだけたくさん走るバイクの大半はホンダかヤマハ。しかし、中身は中国製が多い。
日本製10万円に対し中国製は2~3万円。2~3年で壊れ、燃費が2倍でも安い中国製を選ぶ人が多い。本物に乗る人は社会的ステータスが高いという。

◆(上5枚)ハノイ旧市街の壁に描かれた絵

 揚げ春巻きやフォーの夕食はまずまず。

 

  タムコック ボートクルーズ

 旅の3日目。ベトナムの人達は朝が早い。朝食はほとんど外食。100円で食べることができる。物価が高い南のホーチミン市では2~300円。大卒の初任給は3万円。
 子供の数が多く、学校は2部制授業。午前の部は7~11時。朝の通学路は制服の白いアオザイを着た女生徒で埋まる。白い帯が流れるように連なり、それは美しい。

 ハノイから南へ100km、ニンビン市のタムコックへ。ニンビン西部のホアルーは10~11世紀に首都が置かれた由緒ある町。救命胴衣を着けて11時、ボートクルーズに出発。ボートは金属製で2~5人乗り。石灰岩の奇岩奇峰が連なり陸のハロン湾といわれる。その麓を緩やかに流れる川を船頭が脚で魯を操り上り、下る。風光明媚な田園地帯。タムコックとは「3つの洞窟」を意味する。鍾乳石の垂れ下がる真っ暗な3つの洞窟を、背をかがめながらくぐり抜ける。ところどころに布袋(ホテイ)のブルーの花が咲いている。船頭は、自由な手でスマホを使ったり、若い女性はバナナを食べたりしている。船賃をもらい、チップをもらい、なかなかいい収入になるようだ。50分ほどのクルーズを楽しんで、昼食のレストランへ。薄味のスープが美味しい。

◆タムコック・ボートクルーズ

 

  フエ

 夕方、ハノイに戻り、国内線で50分の飛行。夜、中部の古都フエへ。ベトナムの国内線は2時間3時間遅れるのは当たり前といわれる中、30分遅れただけ。10時近くにレストラン「Hoang Phu」へ。女性たちは王朝風の衣裳を纏い記念写真を撮り合う。王宮民族ショーを見ながら豪華な宮廷料理を楽しむ。

◆フエ王朝風の衣裳を纏った妻

◆王宮民族ショーの女性たち

◆王宮民族ショー

 フエはかつてベトナム最後の王朝、阮(グエン)朝(1802~1945)13代の都が置かれていた所で、日本でいえば京都や奈良といったところ。最近、日本からの修学旅行が増えている。高校生の話す日本語は理解不能で、言葉が通じる高齢者がお客だとホットするとガイドはいう。曰く、高校生は新日本人、高齢者は旧日本人。

 フエでは当時国中から集められた一流の料理人たちが、皇帝と貴族のために絶えず腕を競い合った。こうして編み出されたのが、カニ、エビ、鴨、ハスの実などの高級食材をふんだんに使い、贅沢にして洗練された宮廷料理。さらに野菜などで花や動物を形作り、華麗に盛り付けられた料理は芸術的な美しさ。

 だが次から次に出てくる料理はどれも油で揚げてあり、しまいにうんざりしてくる。私の口には合わない。油で揚げたベトナム料理を3日間食べ続けたところに、朝、生ジュースを飲んだ影響もあるのか、胃の具合がおかしい。日中から僅かな異変を感じていたが、夜、案の定下痢。気を付けていたのだが……

◆野菜で花や動物を形作り華麗に盛り付けられた宮廷料理

 旅の4日目は、「賞賛すべき建築上のポエム」といわれるフエの市内観光から始まる。8時前、ゆったり流れるフーン川のほとり、阮王朝の宮殿へ。高さ6mの苔むした城壁が延々と続く。その外側に濠が張り巡らされた東西642m、南北568mの長方形の荘厳な王宮は、北京の紫禁城を模して建てられた。午門を模した威風堂々とした王宮門や、大和伝を模した正殿(大和殿)は何とも素晴らしい。正殿はベトナム戦争中の1968年完全に破壊され、1970年に再建された。

◆フエ・阮(グエン)王朝の宮殿

 雨の予報だったが陽が出て来て蒸し暑い。歌謡ショーが開かれ、紫のアオザイを着た女性たちが舞う。

◆アオザイを着て舞う女性たち

 9時20分、霊姥(ティエンム)寺へ。眼下をフーン川が流れる。1601年、天女の予言によって創建された禅寺。中国の影響を受けた七層八角形の石造りの仏塔は高さ21.24mで、フエのシンボル的存在。現在も僧侶が修行している。ベトナム戦争中、住職が政府に抗議して焼身自殺したことでも知られる。その時、彼がサイゴンまで乗った車が中庭に展示されている。

◆霊姥(ティエンム)寺の
七層八角形の仏塔

 10時10分、第12代皇帝カイディン帝の陵へ。1920年から1931年まで11年かけて造られた西洋風の建築で、芸術的にも優れている。石の階段の手すりには龍が刻まれ、130段の階段の上には馬や象、役人の石像が立ち、陵を守っている。陵の内部には、金箔を施した青銅のカイディン帝の等身大の像がある。壁と天井は、中国の磁器や日本のガラスでステンドグラスのように飾られ、美しい。

◆中央がカイディン帝の像

◆カイディン帝陵

 スーパーマーケットに寄って、お土産にフォーを買う。日本のエースコック社のベトナム仕様の製品。腹の具合を考え、昼食はあっさり味のフォーにする。
 1時ダナンに向けて出発。海を隔ててダナンのビル群と街が遠望できる。

 ベトナムに来て、猫を見ないことに気が付く。どこの国でも街を歩く猫の姿を見ないことはない。お寺の境内や広場に鳩もいない。バスの窓から、街を歩きながら気を付けて目を凝らすがやはり見かけない。聞けば、何と!みな食べられてしまったという。海老など養殖しているが、すべて輸出に回り、ベトナム人の口に入ることがない。代わりに猫、鳩、カラスが食べ尽くされてしまった。俄かには信じがたいが、確かにどこにもいない。旅の終わりに、ホーチミン市の裕福そうな住宅が並ぶ路地を悠然と歩む猫を1匹見ただけだった。因みにベトナム人は犬は食べない。街のあちこちに気だるげに寝そべり、ゆるゆると歩いている。

 - 後編へ続く - 

 

 

 

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