フィリピン再訪記 Vol.5

      2019/11/07

◆写真:パンガシナン州 ダグパン郊外のミルクフィシュ養殖池

滞在も残り1週間に

 バギオ・ビガン旅行を終えて、残りの滞在予定は1週間余りとなりました。私達は、悔いなくフィリピンを去れるように過ごしたいと思いました。スワルとダグパンのご縁の人達を再度訪ね、アラミノスでの日々は感謝の思いで楽しみました。ラモス夫妻のお心遣いが胸に染みました。

Jan.23 1月23日(水)にスワルに行きました。

◆ルソン島北部地図:スワルはリンガエン湾南西端、アラミノスとダグパンの間にあります。

 クバオ(マニラ地区)行きのエアコンバスの便があり、初めて白人旅行者と乗り合わせましたが、シニアの男女数人のグループでした。仏語を話す87歳の元気な女性が、旅券を集めてシニア割で切符を申し込んだので、私も「私達もシニアだ。」と言って旅券を出し、お互いに顔を見合わせて笑いました。

 暫くして私達はスワルで降りました。どのバスも、何処ででも乗り・降りが出来ます。走って来るバスに手を挙げて知らせたら目の前で停まり、車内では「パラ(止まれ。)」の一声で直ぐに停まってくれます。

 スワルのマーケット前からトライシクルに乗り、皆さんが住むバキューアンのバランガイ(部落)に向かい、デコボコ道を車に揺られてミシェルさんの家に着きました。夫と一人息子は不在で彼女一人でした。隣の奥さんと庭でお喋りしながら手洗いで洗濯していました。大変に喜んでくれて、思い出話や現在の生活などの親身な話が出来ました。夫のジェイクさんは近くの火力発電所で働いていますが、彼女は息子の学資のために出稼ぎに行く準備中だと言いました。3月からアブダビに行く予定だと聞き、私達は「身体だけは大事にして。」と言うことしか出来ませんでした。

◆ミシェルさんの家から見たバキューアンの景色

◆思い出話に花が咲き、楽しそうなミシェルさんと妻

 NISVAの縫製ボランティアは、妻も含め5人の人達が引き継いで続け、マーケットに店を出した事もありましたが、相応の収入を得るところ迄にはなりませんでした。フィリピンでは多くの人達が家族と離れて海外に出稼ぎに出ています。哀しい現実ですが、あちらの人達はメソメソせずに家族のために頑張っています。

懐かしい人たちと感激の再会ハグ!

 この日はミシェルさんが一緒に付いて来てくれました。先ずリナさんの家に歩いて行きましたが、CFF子供の家での給食の仕事で不在でした。そこで、前回滞在時に何かとお世話になったビリーさんの家を訪ねました。CFFの運転手だった人です。奥さんのイシンさんも在宅でした。顔を合わせると再会の嬉しさがこみ上げて、私はビリーさんと妻はイシンさんと抱き合って喜びました。風が通る所で、往時の事や最近の事情が次々と話題に上がり、約10年の隔たりを忘れて懐かしく語り合いました。嬉しくて名残惜しい気持でしたが、またの再会を願って別れました。

◆約10年ぶりに再会できたビリーさん・イシンさんご夫婦と私達

 次にビリーさんの長男の妻ルメニアさんを訪ねました。すぐ近くです。ミシェルさんが声を掛けると、暫くして姿を現わしました。シャワー中だったようです。スワルの縫製教室で毎日顔を合わせていた女性3人です。約10年振りの再会にルメニアさんは喜色満面でした。直ぐに「何していた?」・「何している?」と話が盛り上がりました。可愛かった子供3人の成長の様子も聞けました。ルメニアさんは表の部屋で「サリサリ」(小さい雑貨店)をやっていて、大学の家政科に通う長女が作った売り物のお菓子を貰って帰りましたが、とても良く出来て美味しい物でした。多くの話をして、ルメニアさんとも健康と再会を願って別れました。

◆ビリーさんの長男の妻ルメニアさん(まん中)とも再会して談笑 左はミシェルさん

 ミシェルさんにトライシクルを呼んで貰い、一緒にスワルのレストランGarcia Garden Grillに行きました。この店のパンシット(ビーフンの炒めもの)が食べたかったのです。3人で食事を済まし話も出来たので、マーケットの向かいでバスを待って別れました。出稼ぎ先でのミシェルさんの健康と安全を願い再会を約しました。バスの中から見たミシェルさんの見送る姿が浮かびます。この日の夕食は、スワルのレストランでテイクアウトした品々がおかずでした。

Jan.24 1月24日(木)はダグパンのI君を訪ねました。

 今回の再訪問は、I君の親切なお世話で円滑に進み、願ったとおりの渡航・滞在が出来ました。到着の翌々日に約10年振りの旧交を温め、その後も適時に連絡をし合いましたが、帰国前にお礼を言ってお別れをする事にしました。ダグパン入口のCSIで待ち合わせ、I君の車でレストランSilverio’sに行きました。前回滞在時も利用した懐かしい店です。

 事前の連絡で承知していましたが、I君は事業の助手ノリリンさんを連れて来ました。大学を出たばかりの女性ですが、大変しっかりした人でした。I君の事業立ち上げの経緯や現状を詳しく聞きました。

 私達が初めてI君と会ったのは、彼がフィリピンのCFFで活動を始めた時でした。フィリピンの恵まれない青少年に対する思いで、約10年間一貫した活動を続けています。色々な苦労話も聞きましたが、I君は肩肘を張らず自然体です。英語も上手ですが、殆どはタガログ語で流暢に話します。私達が知る範囲の人達(両国の人)には大変信用されています。私達は、I君の頑張りを大変嬉しく思いました。

◆食事をするI君・助手のノリリンさんと私達

◆(左)レストランSilverio’s 河岸にあり開放的な店です。(右)美味しかったナマズHITOの焼魚

 食事は、シニガンスープや肉・野菜炒めなどと、初めてナマズHITOの焼魚を食べました。臭みは全くなく大変美味しい白身でした。ミルクフィッシュ(バンガス)の美味しさに劣らないものでした。ミルクフィッシュのように養殖もされているそうです。

 ゆっくりと話ができて楽しい食事でした。再会を約してI君達と別れ、懐かしいダグパンの街を後にしました。ダグパン郊外にはミルクフィッシュの養殖池が多く見られ、この付近で盛んな家具作りの工房には何時も興味を覚えます。数え切れないほどに通った道ですが、目に入る景色を感慨深く眺めながらの帰路でした。

◆ダグパン郊外の道路沿いに多くある家具工房

フィリピンに溶け込んで過ごした日々

 残された日々も特に目新しいことはありません。フィリピンの空気を吸い、風を受け、人々の中に混じっていること、それを嬉しく思って過ごしました。一日を早朝ウォーキングや散策などで楽しみました。早朝ウォーキングは早く起きます。まだ薄暗いベランダに出て「明けの明星」を見上げました。静かな朝の澄んだ夜空に輝く星は、大変良い気分にしてくれました。

◆朝早く静かなベランダで見上げた「明けの明星」

楽しい発見がある早朝ウォーキング

 魚・肉や野菜などの屋内・屋外市場を眺めながら歩き回るのは、何時も理屈なく楽しいことでした。街中を少し離れると樹木や花が多くなります。ある家の庭に茂った大きな樹に多くの小さい実を見つけ、聞いてみたらマンゴーでした。おそらく果実用ではないのです。ブーゲンビリアなどの花が至る所に咲いていて、ゆっくり眺めて美しいなと感じました。見ようと思えば、美しいものや珍しいものが目に入って来て嬉しく思いました。

◆眺めるだけでも楽しい屋内の魚市場

◆アラミノス市庁舎 オレゴンビルのすぐ近くです。

◆(左)アラミノスのメインストリートに直交するルカップ道 (右)ガーデニング店も有りました。

絶品!エイミーさんのフィリピン家庭料理

 ラモス夫妻にはルカップ岬での夕涼みに連れて行って貰ったり、エイミーさんが手料理を持って来てくれました。特に「おかゆ」はとても美味しかったので、レシピのメモを書いて貰いました。ラモス夫妻のご親切は身に沁みて有難く思いました。色々と親身な話も交わし、お二人の人柄に触れて心を通わすことができました。何より嬉しいことでした。

◆左:エイミーさんの牛肉入りヌードル 肉は煮込んで柔らかく美味でした。
 右:エイミーさんのおかゆ 鳥肉・ネギ入り、しょうがも程よく効いて大変美味でした。

Jan.29 1月29日(火)、帰国の日を迎えました。

 1月29日(火)の午後マニラ発の便で帰国の予定でした。余裕をもって空港に着くために、アラミノスを早朝3時発のバスに乗ることにしました。前日は、荷物を整理し部屋の片付けをしました。Tさんとも時々行き来していましたが、帰国のご挨拶に伺って、グローリアさんも交えて和やかに過ごしお別れをしました。馴染みのレストランで夕食を済まし、早めに就寝しました。

 当日午前1時30分頃起き、準備を整えて1階に降りました。約束の2時30分にラモス夫妻が起きて出て来られ、ドライマンゴーとイチゴジャムをお土産にいただきました。上等な品でした。ロレンソさんのトライシクルでバスターミナルには直ぐに着きました。ロレンソさんとエイミーさんに立ち話でお礼を言いましたが、応じるお二人の静かで優しい表情と言葉が忘れられません。お別れしてバスに乗車した私達は、マニラのパサイに向けて定刻に出発しました。

◆左:ロレンソさんのトライシクル とても立派な車で色々とお世話になりました。
 右:さようなら。お世話になったメゾネット式の部屋

 滞在間の事を想いながらぼんやりと過ごしました。ターラック付近で休憩をしましたが、その頃から夜が明けて来ました。すっかり明るくなってマニラに入りましたが、有名な大渋滞に突き当たりました。街の表情を眺めて気を紛らしました。

 パサイが近くなると幾分か流れるようになりましたが、車掌さんが空港行きの人達に下車を予告し、私達にも合図してくれました。パサイのバスターミナルまでは行かない地点で停車し、降りるように招かれました。

 車外に出ると、すでにバッグも出してあり、指定したタクシーを待たせてありました。バスまで来たタクシーの運転手さんがバッグも積んでくれて空港に向かいました。好感を持てる態度でタクシー料金も適正でした。最も安全・迅速に空港に着く事が出来ましたが、バスの車掌さんなどの処置に感じ入りました。空港では各種の手続き等もスムーズに終わり、ゆっくり食事をして予定の便で羽田に帰りました。少し寒い中を自宅に戻った時、幸せな気分で感謝の念を覚えました。

 

 最後に3つの事を書き加えます。

 

1.庶民の胃袋を満たすトロトロ(大衆食堂)

 先ず食べる事です。トロトロ(フィリピンの家庭料理が食べられる大衆食堂)では前回滞在時に何回か食べました。屋台での買い食いはしていません。実に美味しそうな物を作りながら並べています。次の機会には試みたいと思います。

 屋台が多いのは、起業がし易いことと、大人も子供もミリエンダ(おやつ)が大好きなことと関係していると思われます。生活に余裕がなくてもミリエンダだけは忘れません。小学校の前にはお菓子の屋台が並びます。ボランティアの教室でもミリエンダを楽しみました。

 一方、朝食を食べずに登校して学校近くのトロトロで食べる子供達もいます。多くの生徒・学生達がトロトロで美味しそうに昼食を食べるのを覗きました。弁当の習慣がないような気もします。弁当を持参して節約するのが自然と思うのですが、どうも分かりません。これも、更に知りたい事の1つです。

◆左:生徒達向けのトロトロ(大衆食堂) 昼食中です。右上:トロトロの横には屋台も並んでいます。右下:公園の周りの屋台 屋台は方々に沢山出ています。

2.20~30%OFFが嬉しいシニア割

 次はシニア割の事です。前回滞在時にはありませんでした。今回の滞在で気付き、レストラ
ンとバスで何回も割り引いて貰いました。始まった経緯は聞かなかったのですが、禁煙ムードの盛り上げなどとも併せて、良い方への社会の変化を感じました。割引が義務であると言う訳ではありません。ハイクラスのレストランと幹線バスでサービスを受け、割引の割合が高いので驚きました。レストランでは約30%弱、バスでは約20%~約30%の割引でした。

3.治安と安全――日本人は狙われやすい⁉

 最後に、治安と安全の事です。前回渡航したばかりの時に、妻が背後から布のショルダーバッグを切り裂かれて盗難に遭い、全く気付きませんでした。

 偉そうな事は言えないのですが、感じることを書きます。フィリピンでは、南部のミンダナオ島などでイスラム勢力との確執があり国レベルの問題です。また、マニラなどで凶悪な事件があります。選挙では異常な盛り上がりで殺傷事件も起こっています。ですから、危ない地域や場所に近寄らないことが必須の大事な事です。ただ、気付かずに連れ去られて酷い目に会うような事もあります。マニラの街中などで流しのタクシーに乗るようなことは危ないのです。

 私の拙い体験から言えば、地方では、普通に用心しておれば大丈夫です。粗暴なことやひったくりなどを目にしたり聞いたりした事はありません。ショッピングモール入館時のチェックも緩くなり、警備員も拳銃を所持していませんでした。ただ、何処でもプロは狙っていて、日本人は金持ちと見られて狙われるという事を忘れてはなりません。大金や貴重なものを見せない事も大事です。

 

 

 

 

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