フィリピン再訪記 Vol.4

      2019/07/22

◆世界遺産ビガンのメナ・クリソロゴ通り

 

 アラミノスではラモス夫妻にお世話いただき、不自由なく楽しい毎日でした。雑貨屋の奥さんにも「前回の時から貴方達を良く知っています。ラモスさんは良い人ですよ。」と言われました。そして、滞在半ばの1月17日から4泊5日の予定で、2回目のバギオと初めてのビガンの旅行に行きました。今回はその事を書きます。

 

長距離夜行バスでバギオへ

 長距離の移動はバスの乗り継ぎがポイントです。多くのバスが走っていますが、接続がバラバラなのです。私達が利用したのは、ルソン島北部の幹線を担うパルタスバスです。先ずバギオに直行し、ビガンにもバギオから直行しました。前述のI君とビオリさんに聞いて、バギオで在学中のラモス夫妻の次男も確かめてくれました。

 17日(木)朝5時過ぎにバスターミナルに行き、ボリナオ始発のバギオ直行便を待ちました。約10分遅れで着いたバスに乗り込み、5時50分頃発車しましたが、旅の喜びと期待が胸に湧いて来ました。

◆アラミノスのバスターミナルでバギオ直行バスを待つ。

◆バスは高地に登って行き、間もなくバギオです。

 リンガエン付近で日の出を迎え、ダグパンを経てバギオに向かいました。持参のバナナと車内で買ったフライドポテトでお腹を満たし、記憶に残る景色を懐かしく眺めました。バスは徐々に高地に登って行き、10:30頃バギオのバスターミナルに着きました。アラミノスから約4時間40分でした。

 

バギオ Baguio――3~5月は政府機関が移される夏の首都

 バギオはリンガエン湾東側の高地にあり、涼しくて美しい街です。この地方の中心地としての歴史を持ち、古都の風格を感じます。フィリピン国軍の士官学校 Philippine Military Academy があります。前回と同じホテルにチェックインしました。昼食後少し休息してから、予定していた英霊追悼碑の参拝と士官学校の見学に出掛けました。

二度目の英霊追悼碑参拝へ

 英霊追悼碑は、市街地のはずれでバーンハム公園の近くです。相変わらず大変綺麗に維持されていました。お線香を焚いてお祈りしました。前回の時と同じフィリピン人男性が追悼碑を守っていました。記帳をして深く感謝の気持を述べました。寄付をお渡ししましたが、大変に喜んで貰えたので嬉しく思いました。

 

 

◆左:バギオの英霊追悼碑、一年中ここを守っているフィリピン人男性と

◆下:バギオの英霊追悼碑、尾崎士郎の碑文

 

フィリピン国軍士官学校を見学

 士官学校には、前回に利用したジプニーが殆ど通らないので、今回はタクシーで行きました。英霊追悼碑の傍で若い人に相談したら、「タクシーが良い。」と言って停めてくれました。

 前回訪問時は、ID(旅券など)を所持していなくて校内に入れませんでした。今回は、校門で旅券を提示しようとしましたが、運転手さんが係官と話して、そのままタクシーを乗り入れました。広い林を抜けて建物が連なる場所まで行くと、「この先は立ち入り禁止です。車で待っています。」と言います。私達はタクシーから降りて、その付近で20分ほど見学しました。

◆フィリピン国軍士官学校の校内、これから先は立入禁止

◆隊伍を組んで歩く士官学校学生(迷彩の戦闘服姿)

◆運動着でランニング(持続走)中の士官学校学生

 人里離れた素晴らしい環境です。先の方に連なる建物が、士官学校の教室とか学生の居住区と思いました。戦闘服姿で通り過ぎる学生と運動着でランニングする学生の姿に接する事が出来ました。溌剌とした姿と真剣な表情を見て嬉しくなりました。心の中で学生達に声援を送り、同じ経路を折り返して市内に戻りました。後日、ラモス夫妻から「もっと中にも入れることがある。」との事を聞きました。記念日などの時だろうと思いました。

 走行距離と時間から判断して、大変安いタクシー料金に驚きました。明確な内訳の領収証や運転手さんの態度にも大変に好感を持ちました。後で理解したのですが、バギオではトライシクルを排除してタクシーのみにしたのです。勝手な営業は許さないタクシー制度を設けて信用を得ているようです。全てのタクシーが白一色に統一されています。車体に固有番号を明示して、市民・お客様が分かるようにしています。画期的な変化だと思いました。

◆街中を走るバギオのタクシー、白色に統一され固有番号を明示

市民の憩いの場――バーンハム公園

 バーンハム公園を散策してホテルに帰りました。町の中央に設計して作られた美しい公園で、ボートで遊ぶ大きな池を囲んでいます。新しく出来た貸し自転車のコーナーも大変に楽しそうでした。公園全体が整然として来たように感じられ、タクシーの事と同じように嬉しく思いました。

 バギオには博物館や大聖堂などがありますが、今回は訪ねませんでした。ホテルの部屋は、前回とは違う別棟でした。安い料金ですが、トイレの流れも良くシャワーも温かくてラッキーでした。バギオの夜は少し冷涼なので、薄い布団風の掛け物でした。

◆バーンハム公園の一角で楽しい(貸出)自転車遊び Mtバイクやサイドカー、ゴーカートもあります。

 翌日18日(金)は07:00発なので、朝食前の6時頃にチェックアウトしてバスターミナルまで歩き、途中で朝食のパンを買いました。バス乗り場の土産店には、アラミノスでは殆ど目にしない「ぶどう」や「イチゴ」を売っていたので、やはりバギオだなと思いました。

◆バギオバスターミナルの土産物店、ぶどう・イチゴが有ります。

 

ビガン Vigan ――コロニアル情緒あふれる世界遺産の街

 バスはバギオから北西方向に降りて行き、約2時間で平地の幹線道路に出て、ビガンに向けて北上しました。大きな都市のサンフェルナンドを過ぎてから、初めて見る山々や農地の作物などの景色を眺めながら進みました。乾季なので川の流れはありません。バスは順調に走って、13:00頃ビガンのバスターミナルに着きました。約6時間のバス旅でした。

◆ルソン島北西部南シナ海沿いの農地、トウモロコシの栽培

◆ルソン島北西部の川の河口近く、乾季で水は流れていません。

 ビガンは初めてです。ルソン島最北部に近く南シナ海に面しています。ダグパンから約200Kmです。16世紀にスペイン人が作った街で、中国・メキシコなどとの交易で栄えました。海岸から4Km~5Km離れて東西500m×南北1000mほどの歴史地区(旧市街)があり、世界遺産に登録されています。スペイン風建築様式と言われている古い建物が多く残っています。木骨に煉瓦や石を使用した独特の大きな建造物です。

 バスターミナルからは、古い建物があるメナ・クリソロゴ通りを目指して歩きました。その通りの南端付近のカフェで一息つくことにしましたが、日本に劣らぬサンドイッチとコーヒーを喜んで味わいました。元気も出て来て、通りを北端のブルゴス広場まで歩きました。その広場に面する「アニセト・マンション」を見つけ、そこに宿泊する事にしました。

◆ビガンのメナ・クリソロゴ通り南端付近のカフェ、やっと昼食・一休み

◆メナ・クリソロゴ通り南端付近から北を望む。使われず手入れされない建物も有ります。

「アニセト・マンション」に宿泊

 「アニセト・マンション」は、1840年建造の邸宅だった建物です。建造者の娘レオナは有名な詩人だそうで、広場に銅像がありました。州知事の公舎や病院として使われたこともあったようですが、1988年に医師アニセト氏に渡っています。私達が泊まった部屋は普通でしたが、古い調度品の大きな客室もあるようでした。

 階段・廊下、催事のホール及び中庭・テラス等々が往時のまま残っていて、朝食を食べた食堂も立派なものでした。Wi-Fiが使えるロビーでは、フロントの人に色々教えて貰ったりして寛ぎました。並みの宿泊料金でしたが、朝食にはサラダや果物も出ましたし、トイレ・シャワーも満足できました。

◆宿泊した「アニセト・マンション」、大邸宅だった建物です。

◆「アニセト・マンション」内の2階に上がる階段

◆1階の食堂、ここで朝食を食べました。 

◆建造者の娘で詩人レオナの銅像

水と光と音響がおりなす幻想的なショー

 街に出て北東側を一回りすると、歴史地区のようすが大体分かりました。レストランで夕食をとって宿に戻ると、Water Dancingの見物を勧められました。はっきりイメージ出来ませんでしたが、暫くして見に行きました。ブルゴス広場の北西にあるサルセド広場です。噴水が並ぶ大きな池で行われていて、多くの市民で一杯でした。運よく空いたスタンド席で見ることが出来ました。噴水と光の動きを組み合わせて像を作ります。音楽と合わせた躍動感は、文字通りの雄大なWaterのDanceで、美しい見事なショーでした。頻繁に行われていて、市民の楽しみになっているようでした。Dancing Fountainとも言われるようです。動画も撮りました。ご覧下さい。

この行や下の写真のクリックでも、「Water Dancing」のYouTube動画を見ることができます。

◆サルセド広場で行われる噴水・電光・音楽一体のショー「Water Dancing」

19世紀に建てられた名士の大邸宅――ビラ・アンヘラ

 翌日からの2日間は、歴史的な息吹を感じたいとの思いで街を巡りました。宿やカフェで適時に休息をとりながら散策しました。有名なカレッサ(馬車)での遊覧はしませんでした。

19日(土)は、先ず「ビラ・アンヘラ」と言う1873年建造の地元名士の邸宅に行きました。人影は無く、一般開放はしていないように感じましたが、少し開いたドアから声を掛けると、掃除中の男性が出て来ました。「見物したい。」と言うと、「どうぞ。」と言って内部の概要を話してくれました。

◆「ビラ・アンヘラ」の庭から邸内への階段

 邸内を全部見せて貰いましたが、大変に立派な建物と調度品や炊事用具などから、歴史と文化を感じ取る事が出来ました。邸宅全体を眺めようと降りた庭に、見物させてくれた男性とその友人らしい男性が居ました。邸宅のことや私達の見物の思いを話しましたが、「博物館のシキヤハウスに行ったら良い。」と勧められました。道順も教えて貰って行くことにし、寸志を添えてお礼を申し上げ、正門から辞去しました。

◆写真左:「ビラ・アンヘラ」邸内の食堂  右上:「ビラ・アンヘラ」の外観、正門は反対側(北東)側です。  右下:「ビラ・アンヘラ」正門から庭の方を望む。邸宅は奥の右手です。

キリノ大統領の妻の生家が歴史遺産に

 シキヤハウスに行ってみて、「ビラ・アンヘラ」で会った二人の男性が「博物館」という言葉を使ったのは、「歴史遺産」の意味であることを理解しました。ここは中国系有力名士の邸宅です。2階のバルコニーの傍の部屋には、血筋を引く老人が現に居住しているそうです。

 広壮な邸宅で調度品なども立派ですが、二次大戦後のキリノ大統領の妻の実家であることで、大統領に係る多くの品々などが展示されており、歴史的意味も一層大きい訳です。同大統領は、B・C級の日本人戦犯を恩赦で釈放しました。館員の人が、日本人の私達にその事を話してくれました。聞き終わってから「日本人として感謝します。」と申し上げました。どうしても忘れることができない歴史の近さと深い感慨を覚えました。

◆邸内の大広間

◆邸内の大食堂

◆左:邸内の「キリノ大統領展示室」の案内  右上:歴史遺産「シキア・マンション」の表示板  右下:邸内の「キリノ大統領展示室」入口

スペイン支配に抗したホセ・ブルゴス神父の生家へ

 20日(日)は、先ずブルゴス国立博物館に行きました。広場の名にもなった国民的英雄ホセ・ブルゴス神父の住居だった大きな建物です。ルソン島最北部イロカノ地方の歴史や文化が展示物とビデオの併用で紹介されています。各種の用具や用品などを見て、生活の有様を想像しながら興味を覚えました。

 ここでも館員の人が、日本人の私達に高橋大尉の事を話してくれました。高橋大尉は、米軍の反攻時にビガンの破壊を避けるため、街から出て交戦し戦死しました。話して貰ったことにお礼を申し上げましたが、哀しい気分になりました。

◆ブルゴス国立博物館(殉教者ホセ・ブルゴス神父の生家

◆博物館の展示物、イロカノ地方の織機

 歴史地区は狭いですから、のんびりと散策を楽しみました。スペイン風建築様式の古い建物は、メナ・クリスロゴ通りを中心とする南北幾筋かの通りに面しています。ブルゴス広場に近い方は、土産物店やホテル・レストランなどとして使われていますが、周辺には使用されていない建物もあり、手入れもされていないようでした。歴史遺産の保存は、どこの国でも大変なことだと思いました。

◆聖ポール大聖堂、フィリピンにはこのように立派な教会が方々に多くあります

◆メナ・クリソロゴ通りの夜の景色

◆州庁舎の近くにあるキリノ大統領の銅像

 石畳の通りを歩きながら、フィリピンらしさを感じない不思議な感覚に捉われることがありました。それがビガンなのだろうと思います。レストランやカフェも、何となく垢ぬけしているという感じで、美味しい物がありました。例えば、キュウリと果物のジュースは素晴らしい味でした。スープや肉料理などもアラミノスなどとは一味違う感じで、美味しい食事が出来ました。「アニセト・マンション」の隣の1階にあるお店で2夜食事をしましたが、とても満足でした。

◆2夜食事をしたレストラン、夕暮れ時、ヨーロッパ風に表にもテーブルを出します。

◆散策中の一休みはカフェで、美味しいコーヒーでした。

 ビガンで3泊し、1月21日(月)にアラミノスに帰りました。07:00発のバギオ直行バスでサンフェルナンドまで戻ることにしました。6時からの朝食をとり06:30頃チェックアウトして、トライシクルでバスターミナルに行って乗車しました。往路の景色と同じですが、右手に時々現れる南シナ海を眺めながら進みました。

 サンフェルナンドからは幹線バスがなく、地方路線のバスでダグパンに向かいました。相当にボロのバスでしたが、吹き込む風を楽しみながら、結構早くダグパンに着きました。ファミレスのジョリビーで昼食を食べて、アラミノスには16時頃に帰り着きました。バスの乗車時間は約8時間でした。

◆サンフェルナンドからの地方路線バス、この様なボロバスは少なくなって来ました。

憎しみの連鎖を断った大統領の恩赦

 大変楽しいバギオ・ビガンの旅行でしたが、感傷に捉われることもありました。ビガンでフィリピン人館員が話してくれた2つの事は知っていました。キリノ大統領は、マニラ市街戦で妻と子供3人を亡くしましたが、日本人戦犯の釈放に当たり「怨念を捨てて恩赦する。」と言っています。政治家として偉大な決心ですが、心中如何ばかりであったかと思います。高橋大尉は、ビガンにフィリピン人の妻と子供を残しました。20年ほど前に娘がビガンを訪ねて来たという話があります。彼女も私達とほぼ同じ年月を生きています。

◆キリノ大統領と妻アリシア

 一方、考え込む事もありました。キリノ大統領はビガン出身で、この地方の人達には絶大な人気のようです。「ビラ・アンヘラ」で話した人が「キリノはナンバーワン、アキノはワースト」と冗談気味に言ったので、内心驚きました。アキノがワーストの理由が理解出来ないのです。フィリピン社会の権力構造の歴史と現実を十分には知らないからです。機会があればラモス夫妻にでも尋ねてみたい気がします。思いを巡らせることも何かのご縁だと思います。その時々に思うことは大事にしたいと思います。あちらで滞在の間は、50万余の日本人戦没者と比国・米国の戦没者にお祈りすることを、意識して忘れないように努めました。

 今回はバギオ・ビガン旅行のことで終わります。次回は、再度スワル・ダグパンを訪ねたことと、残り少なくなった滞在も嬉しく過ごした事を書きたいと思います。

 

 

 

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