フィリピン再訪記 Vol.2

      2019/05/16

◆アラミノス近郊の水田と山々 2回目の稲作(2期作)

 

 アラミノスに着きバスの外に出ると、瞬時に懐かしい町の雰囲気を感じました。トライシクルに声を掛けられながら、すぐ先にあるホテルまでバッグを引いて歩きました。安堵の気持でフィリピンでの第1夜を迎え、身体を休めることが出来ました。いよいよ明日から嬉しい日々が始まります。

 前回は、スワルでの約8ケ月のボランテイア活動の間、スワルの孤児院で約2ケ月、ダグパンのアパートで約3ケ月、アラミノスのアパートで約3ケ月、それぞれ居住しました。活動でご縁が出来た人達の殆どはスワルです。

 今回はアラミノスに腰を据えて動くことに決め、前回もお世話になったオレゴンビル(2・3階がアパート)に1室を借りよう、駄目ならホテルにしよう、と予定しました。その希望は前述のI君から大家さんのラモス夫妻に伝わり、空室があるとの知らせも受けて出発しました。ですから、アラミノスに着いたらラモス夫妻を直ぐ訪ねたいと思いましたが、夜遅いので翌日にすることにし、手紙で知らせてありました。

 翌日は1月11日です。ホテルのベランダから薄明の町や遠くの風景を眺めると、「来れた!」という嬉しさを覚えました。

◆フィリピン第1夜が明けて、ホテルのベランダから眺めたアラミノスの町中と遠景。

 明るくなるにつれて車と人で騒々しくなり、フィリピンに居る感覚が戻りました。妻も起きたのでファミレスで朝食をとり、ホテルに戻ってからオレゴンビルに行きました。ラモス夫妻(ロレンソさん・エイミーさん)が不在でしたので、ドアにメモを残して近くの市場を覗きに行きました。野菜や果物を眺めて店の人に話し掛けたりしたら、少し感じていた疲労感は消えてしまい、オレゴンビルに戻りました。

◆とうとう来たオレゴンビル、セブンイレブンが出来ていた。

 まだ留守でしたが、傍にいたトライシクルの人が「上に日本人が居るよ。」と教えてくれたので「どこ?」と聞くと、3階のベランダを指差しました。人影は見えないけれど、「Tさん。」と大声で2、3回呼ぶと、Tさんの姿が現れました。実は、市場に行く前にビルの中を回ったのですが、ようすが分からなかったのです。幸運にもTさんが偶然ベランダに出たのでした。

 Tさんは前回のNISVAボランティアでの仲間で、大手重機メーカー技術者を経て各国でJICAのボランティアもされました。80歳の現在も、年に数か月ここに滞在し、関係の人達をサポートしているとのことでした。I君から事情を少し聞いてはいましたが、9年ぶりの再会でした。直ぐお部屋に伺って喜び合いました。Tさんと1時間ほど語り合ってからホテルに帰りました。11時頃チェックアウトし、トライシクルで再びオレゴンビルに向かいました。

◆オレゴンビルは2・3階がアパートで、これは西側部屋のベランダ。3階左端がTさんの部屋、2階奥が私達の部屋。

 オレゴンビルで荷物を降ろすと、眼の前にロレンソさんの笑顔がありました。「また会えてとても嬉しい。」と言葉を交わしましたが、あまり歳もとらず9年前と変わらぬ自然な態度で、ずっと一緒のような気分になりました。何も言わないのに当然の如く、その足で2階西側奥の部屋に案内してくれました。

 鍵も預かって部屋で一息ついたら、間もなくエイミーさんが来室しました。ロレンソさんと同じで、顔を合わせると何の違和感もなく喜び合って、とても嬉しい気持になりました。エイミーさんは少し歳をとったかなという感じでした。部屋の概要と準備したことを1つ1つ説明してくれました。

 部屋はメゾネット式で1階がダイニングキッチンとトイレ・シャワー室、2階が寝室です。エアコン・扇風機が壁に設置され、冷蔵庫、寝室の扇風機、テレビも備えられ、ベット・シーツ・タオルケットなど全て揃えてあり、自炊のための炊飯器、調理用具、湯沸かしポット、トースター、食器・フォーク・スプーン等々から食器洗剤・スポンジに至るまで用意されていました。

 今回はレストランを多く利用するつもりでしたから、プロパンガス・コンロは不要、洗濯も手洗いでするので洗濯機も不要、と話して互いに納得しました。洗濯用バケツの他に大きなタライも用意してくれました。飲み水の缶も直ぐに来ました。お米もジャポニカ米が用意されていました。直ぐにご飯も炊けます。円滑な生活の始まりでした。ラモス夫妻のお心遣いを思い感謝の念で一杯でした。

◆前回と同じの懐かしいメゾネット式の部屋に入居。

◆心待ちにした再会、大家さんのラモスご夫妻家族と私達。長女夫婦から預かっている孫2人が一緒。

◆こちらは9年余前のラモスご夫妻と妻。エイミーさんに抱かれているのが、今は小学生になった男の子。女の子は、その後誕生。

 因みに、ビルの所有者は米国のオレゴンに住むロレンソさんのおばさんで、夫妻が管理しています。前回私達は、温厚で堅実なお二人のお人柄を信頼し、正直で親切なことは帰国しても忘れませんでした。またお会い出来ることが楽しみで心待ちでしたので、再会した時の嬉しさはひとしおでした。今回は一層の交流もできて、お二人のお心遣いに感激しました。

 早や住人になりました。先ずは洗濯をして干しましたが、日差しが強く夕暮れには乾きました。セブンイレブンでサンドイッチとジュースを買って昼食を済まし、シャワーをして少し昼寝をして休みました。すっきりしたので、3階のTさんのお部屋を訪ね、旧知のグローリアさんにも嬉しい再会が出来ました。前回スワルの孤児院の職員だった彼女にお世話になりました。優しい人で、たまたまTさんの所にお手伝いさんとして来ていたのです。

◆再会したグローリアさんと妻

 ベランダに出て外を眺めました。セブンイレブンがある場所は、木が茂り夜は暗かったのですが、今は終夜明かりがあります。エイミーさんが「喧しいが防犯にはよい。」と言いました。今回行く先々で気付いた変化の1つは、セブンイレブン店舗の増加です。前回はマニラとターラックで散見しただけでしたが、今やどこに行っても多くの店があり驚きました。商品は殆どフィリピンの物で、日本と同じくスーパーより高値ですが、繁盛しています。

◆洗濯物を干すベランダから西向きの眺め。セブンイレブンは、刻々と往来の様子を変えながら繁盛している。

 エイミーさんとの話で、たまたまエイミーさんのお母様が亡くなり、明日から2日マニラでの葬儀に行って来るとのことを聞き、お悔やみを申し上げました。大変忙しい中で私達のお世話をして下さったわけです。不在だったことも合点がいきました。

 日暮れ時に1階のラモス夫妻の部屋に伺って、お香典を差し出しましたが、エイミーさんは遠慮しました。私達の気持を話したら、涙ぐんで受け取って貰えました。2人のお孫さんと親戚のお子さんにも会えました。お孫さんは長女の子供で、上の男子は9年前エイミーさんの腕に抱かれていました。下の女子は私達の帰国後の生まれでした。父親はマニラで勤務する士官学校卒の陸軍士官で、前回の時はミンダナオのイスラム勢力と対峙する地域での勤務でしたから、「無事でよかった。」と言いましたら、ロレンソさんも「本当にそうだ。」と答えました。

 落ち着くことができ、近くのショッピングモールの中華レストランまで散歩し、夕飯を食べて帰りました。懐かしいサンミゲルビールを飲んでくつろぎました。とても嬉しい1日でした。

◆屋外市場の野菜屋さん。ゴーヤ(苦瓜)もある。

 1月12日は、I君と正午にダグパンで会う約束でした。ご飯を炊き朝ご飯を食べて出掛けました。町中で両替をしてからバスに乗りました。両替は面倒でも少額を何度も行いました。ダグパンへの途中でスワルを通ります。何度となく通った道ですから、懐かしく景色を眺めました。

 ダグパンでは初めてのバスターミナルに入りました。位置は概ね判断出来たので、約束の場所まで歩きました。前回住んだアパートの前でしたが、増築中のためアパートは見ることができず残念でした。木陰で待っていると、I君から電話が入り車で来ました。I君は前回と変わらぬ風貌でした。喜んで「お元気ですね。」と言ってくれました。

 前回お世話になったスワルの孤児院で施設長だったビオリさん(女性)が昼食を用意して待っているからとのことで、すぐ近くのお宅を訪ねました。実は、私達が住んだアパートはビオリさんの親戚の所有で、ご主人のエリックさんにもお世話になりました。今回もI君を通じ「客間にホームステイできる。」と言って貰ったのですが、オレゴンビルに入居出来るので遠慮しました。

 ビオリさんはハグして喜んでくれました。エリックさんも満面の笑みで迎えてくれました。小学生だった長男は高校生になっていて、フィリピンの作法で目上の人への挨拶をしてくれました。
 魚料理とスープなどのご馳走が並んでいて、直ぐ食事になりました。各々の近況などに話が盛り上がりました。I君はタガログ語が上手で英語も交えながら話します。エリックさんは、名刺を繰って日本人ボランティアの思い出を話しました。お気持を嬉しく思いました。この時、ビガン行きバスの乗り継ぎを尋ねたのですが、これが後で大変役立ちました。

 焼き魚のバンガスは美味で前回もよく食べました。ピラニアの唐揚げは前回の記憶にはなかったのですが、とても美味しいと思いました。あれこれ楽しく語り合い、果物やケーキも食べてお腹一杯になりました。
 その時、洋裁の生徒さんだったミシェルさんからI君への電話で、スワルからダグパンに買物に来ているという連絡があり、お暇してミッシェルさんに会いに行くことにしました。エリックさん・ビオリさんにお礼とお別れの挨拶をしてI君の車に乗りましたが、お二人は私達の姿が見えなくなるまで見送ってくれました。本当に嬉しい思い出になりました。

 よく知る大きなショッピングモールに着き、ホールでミシェルさんの夫のジェイクさんと再会しました。前回ジェイクさんもスワルの孤児院の職員でしたから、何かとお世話になっていました。間もなくミシェルさん達が来て再会しました。ジェイクさんのご両親も南部から出て来られていて一緒でした。
 小学生だった一人息子も立派な高校生になっていました。互いに懐かしく再会を喜び合いました。買物を終わりスワルに帰るとのことで、I君とはもう一度お会いすることにして、ミシェルさん家族の車に乗せて貰ってスワルまで戻ることにしました。

 車中では、その後のことや近況などを色々話しました。スワルのマーケットの前で停車し、同じ生徒さんだったメルナさんが働く店を訪ねました。物静かなメルナさんが出て来て笑顔になりました。メルナさん・ミシェルさん・妻の三人は洋裁の教室を思い出したように嬉しそうでした。暫く立ち話をしてから、明日またスワルに来ることを約束し、そこからバスでアラミノスに帰りました。

◆改装されて綺麗になったスワルマーケット

◆再会したメルナさん(中央)・ミシェルさん(左)と妻の3人

 1月13日は日曜日でした。朝起きて妻が不調を訴えましたが、スワルを訪ねる約束なので頑張って行くことにし、お茶漬けを食べて出掛けました。路上でバスに手を上げて乗り込みましたが、懐かしいぼろバスで料金は上等?の約半額でした。それでも負けずにすっ飛ばします。エアコンよりも吹き込む風の方が好きです。アラミノスからスワルへの道路脇には果物などの出店が点在しますが、この時期は主にスイカが並んでいました。

 スワルに着き、マーケットに行ってメルナさんを訪ねました。今の仕事のことなどを話しました。孤児院があるバキューアンの集落まで行くトライシスクルを捜してもらい、互いに励まして別れました。

◆スワルマーケット横の歩道で立ち話するメルナさんと妻

 トライシクルで砂利道を走り孤児院に着きました。施設長は教会に行って不在なので、職員のジョナさんが接遇してくれました。子供達へのお菓子と寄付を差し上げ、懐かしい宿舎も見せて貰って辞去しました。今は居ない一緒に過ごした子供達の姿を思い浮かべました。

◆スワルの孤児院訪問、ジョナさんと私

◆孤児院宿舎で往時を思い浮かべる私

 孤児院の下の方に、洋裁の生徒さんだったリナさんの家があります。歩いて行って声をかけると、すぐ返事をして笑顔で出て来ました。リナさんは妻に抱き着いて喜んでくれました。前回は中東に出稼ぎに行っていたご主人も数年前に帰国していて、娘さんもすっかり大きくなっていました。リナさんと前回のことや今のことを色々話すことが出来ました。

◆立ち話に熱中するリナさんと妻

 リナさんとお別れして、ご主人のトライシクルでミシェルさんの家まで送って貰いました。スワルの町の方に少し戻った所です。家族全部で出迎えてくれました。皆さんに挨拶し、孤児院とリナさんを訪ねたことも話しました。暫くしてミシェルさんが昼食を勧めてくれたのですが、妻が疲れてきついので、遠慮して直ぐアラミノスに帰ることにしました。鍋や皿のようすを見て、ご馳走を作って待っていたことを察しました。本当に申し訳なく思ってお詫びし、もう一度訪ねることを約束して辞去しました。

◆ジェイクさん・ミシェルさん夫婦とジェイクさんのご両親

 呼んでもらったトライスクルでスワルの町に戻り、バスでアラミノスに帰りました。アパートの部屋で休んだので、妻は体調を取り戻すことが出来ました。アラミノス到着後の3日間は、環境に未だ慣れずに少し無理をしたと思いましたが、本当に嬉しい思いが連続する日々でした。

 

 今回はこれで区切ります。妻に読んでもらったら笑われました。楽しんでいるのは、書いている私だけだそうです。嬉しい気持が先走って書き連ねてしまいました。また続きも書きますが、よろしくお願いします。

 

 

 

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