オランダ点描⑦ ライデン・ハーレム・ユトレヒト
2020/03/24
ライン川支流の川岸にあるライデンは、京都を思わせる静かで品格ある文化都市。アムステルダムから南東へ列車で30分。オランダ最古の大学があり、研究機関や博物館、美術館が多い。中世には交易の要所、織物産業の中心地として栄えた。幕末の長崎に医師として滞在したドイツ人シーボルトが晩年を過ごし、日本研究に打ち込んだ町でもある。
訪れたのは、2008年12月18日のお昼前。ライデン・セントラル駅は霧雨に煙っていた。
ガイドブックの地図を頼りに市立デ・ファルク風車博物館へ。1743年に造られ、建設当時の7階建ての内部構造が完全に保存されている。高さ29メートル。風車の歴史や風車内で暮らす人々の生活の様子が紹介されていて興味深い。急な階段を上る。さほど大きくない古都の街並みと、それを取り巻く広々とした平野の展望は実に雄大。すぐ近くで、木製の頑丈な羽根が風を切って勢いよく回っている。なかなか迫力がある。
昼食は、ライデン大学の学生たちが多く集うマクドナルドへ。何組かのグループが陽気におしゃべりしている。女子学生は清楚な感じで、男子も皆、ごく普通の服装。当時日本はルーズな服装の若者が多かったので、見ていて心地よい。
運河に面したシーボルトハウスには、日本で集めた2万点に及ぶコレクションが収蔵されている。展示物は美術品から日用品、植物学や動物学の資料、工業原材料にまで及んでいる。日本語の説明文がついているのが嬉しい。
◆長崎出島のオランダ商館医として日本に滞在したシーボルトは、患者を診ても診察料を取らなかったため、患者から感謝の気持ちで贈られた品々がコレクションの始まりだったと伝えられている。
聖パンクラス教会の近く、高さ12メートルの小高い丘の上にあるビュルフト城塞に登る。上から眺める町の佇まいが素晴らしい。城塞は直径が30メートルほど。2階建てくらいの高さの壁が円形に築かれている。中に1本の樫の木と2本の楡の木が枝を広げている。
1573年の独立戦争の際、スペイン兵に包囲されて、ライデン市民は1年あまりも籠城を続けた。飢えに苦しみながら最後まで抵抗を止めず、ついには守り切った。解放を勝ち取った10月2日は今でもライデンの祭日になっている。
◆左上下:ビュルフト城塞 右:城塞の扉
市庁舎から路地をたどって、巨大なゴシック様式のピータース教会へ。重厚な建物は修復工事中で中には入れない。起源は1100年頃に遡る。
運河越しに国立古代史博物館を眺め、もう一つの見所、ライデン大学本部へ。ここも工事中だったが、中に入れた。1575年創立のオランダ最初の総合大学。ベアトリクス女王やグロティウスをはじめ世界中の多くの人が学んだが、シーボルトもその一人。オランダ唯一の日本語学科があることでも知られる。医学部の薬草園として造られた付属の植物園へ。一角には、シーボルトを記念した日本庭園がある。シーボルトが苦心して日本から運んで植えた欅や橡、鬼胡桃などの巨木が枝を伸ばし、空を覆っている。銅像が彼の愛してやまなかった紫陽花に囲まれて立っている。
レンブラントの生地を経て、白い跳ね橋を渡る。プット風車を見て、ライン川に係留されたたくさんの船や趣ある建物を眺める。かつて織物のギルドとして使われていた市立博物館の瀟洒な建物には、ライデンの歴史を感じ、往時の栄華が偲ばれる。運河沿いの花屋の店先にクリスマスの飾りが並んでいる。松ぼっくりをつかった門松に似たオーナメントがあって、一瞬、日本にいるような感覚にとらわれた。建物の壁には芭蕉の俳句「荒海や佐渡によこたふ天の川」が漢字で大きく書かれていて、日本との深い繋がりを感じる。
人口10万人のこじんまりした町。見所は歩いて回れる。
◆左:白いハネ橋とブット風車 右:ライン川に係留されたたくさんの船や趣ある建物
2012年8月11日、アムステルダムから西へ列車で16分、北ホランド州の州都ハーレムに着く。オランダの黄金時代を担い、ニューヨークのハーレムの語源となった人口15万人の街。アムステルダムに比べるとぐっと落ち着いた大人の雰囲気を持つ。17世紀にトルコから持ち帰ったチューリップの栽培はこの地で始まった。今でも栽培の中心地だ。花のシーズンにはチューリップが畑一面に咲き誇る。
土曜市が開かれているマルクト広場へ。たくさんのテントが並び、アンティーク家具から野菜、魚介まで様々な物が売られている。なかなかの賑わい。
◆マルクト広場の土曜市
◆マルクト広場の土曜市。花々の値段は驚くほど安い
主な見どころが集まる広場の東側に、後期ゴシック様式の聖バーフォ教会がある。14世紀の末から150年の歳月を費して建てられたカトリック教会。11歳のモーツァルトが演奏した大きなパイプオルガンがある。パイプの数は5068本、高さが30メートルある。世界有数の名器といわれ、ヘンデルも歓喜したという。7月には1年おきにハーレム国際オルガン音楽祭が開催される。教会には、この地で活躍した画家フランス・ハルスの墓や80mの優美な塔がある。
◆後期ゴシック様式のバーフォ教会
◆左:バーフォ教会の内部、右:パイプオルガン
◆バーフォ教会の内部
マルクト広場を囲んで南側に立つ現代美術館(旧肉市場)は、北方ルネサンス様式を代表する17世紀初頭の華麗な建物。西側には14世紀建造のゴシック様式の市庁舎がある。グーテンベルクより10数年前に活版印刷を発明したL・J・コステルの像が右手に活字を持って立っている。
スパールネ川沿いのベンチに座り、川風に吹かれてクラシックな景色を楽しみながら、駅近くのスーパーで買ったサンドイッチの昼食をとる。ホテルから持ってきたリンゴも思いの外美味しい。川沿いのティラー美術館と白い跳ね橋、切妻屋根の家々の眺めが素晴らしい。
◆スパールネ川に架かる跳ね橋と切妻屋根のコントラストが美しい
◆ハーレムの街角
◆川沿いに立つオランダ最古の美術館 テイラー美術館
マルクト広場から南へ5分、石畳の道を歩く。17世紀当時からのレンガ造りの家屋が両側に並ぶ、絵のように美しい小路が続く。家々の花も素晴らしい。2度ほど道を尋ねてようやくフランス・ハルス美術館へ。1608年に養老院として建てられた建物を1903に美術館に改装。8枚の集団肖像画や風俗画3点などを鑑賞。館の前の長屋もまた趣がある。古き良き時代のオランダを満喫した
◆上5枚:フランス・ハルス美術館へ通じる路地
◆左:美術館入口、右上下:フランス・ハルス美術館の集団肖像画
2008年12月7日の日曜日、妻、小学1年の孫と、娘一家の住むオランダ南部のティルブルク・レーソフから各駅停車に揺られて、ユトレヒトに向かう。下の孫は風邪気味で、娘と留守番。広々とした空、牧草地、立派な家々、ゆったり流れるマース川、ワール川、ライン川……いかにもオランダといった景色を楽しんで1時近くに到着。アムステルダムからだと南西に急行で30分。オランダのほぼ中心にある交通の要衝。四方面3本のユーロのメーンルートがここで交差している。人口31万、オランダ第4の都市。学生の町で、2万5千人の学生がいる。
ユトレヒト出身の20人近い軍医が、東京、長崎、熊本、京都、岡山、大阪、金沢の大学医学部の前身を作ったことでも知られる。
16世紀の後半、独立戦争ではオランダ独立の中心地となった。また、スペインの新教徒弾圧に対して、北部7州とベルギー北部が一致団結しユトレヒト同盟が結ばれ、ユトレヒトは事実上の首都、独立のシンボルであった。
観光のポイントはほとんどが狭い旧市街に集まっているので、歩いて回れる。旧市街は星形の運河に囲まれており、道路下の川岸に、他の町には見られない広いテラス状の歩行者専用路がある。昔、荷下ろし場と倉庫に使われていた。
駅前からオランダには珍しいたくさんの店舗が入ったショッピングセンターを抜ける。趣のある運河沿いの道を歩いて、ドム塔へ。高さ112メートル、オランダ一高い塔は遠くからもよく見える。263年もかけて完成した。塔をくぐってドム教会へ。1517年に完成したオランダ最古のゴシック建築。
◆左:ドム塔、右上・右下:ドム教会
ネオ・ルネサンス様式の建物が美しい1636年創立のユトレヒト大学。本部前のドム広場のベンチに腰かけて、持参のサンドイッチの昼食。食欲旺盛な孫は妻の分まで食べてしまった。
◆ユトレヒト大学本部
オルゴール博物館へ。18世紀から現代までの自動楽器のコレクションを展示している。ガイドツァーに12~3人の人と参加。珍しいオルゴール、手回しオルガン、ジュークボックス、ストリートオルガンなどを実際に鳴らしながら説明してくれる。オランダ語の分かる孫はちゃんと理解しているようだ。2~3歳の子供も何人かいる。そのうち入場者も増えてくる。巨大なオルゴールは音も大きい。小鳥や、ゴッホの人形が動くオルゴールもあり、子供から大人まで楽しめる。孫にねだられ館内のレストランでサンドイッチやミルクの軽食をとる。私たちは、アップルパイとコーヒー。
地図を頼りに運河沿いの道や路地を歩いて、鉄道博物館へ。
◆左:公園で遊ぶ孫、右上:運河沿いのテラス状の歩行者専用路、右下:街角の自転車
マリーバーン駅舎に、19~20世紀初めの60輌以上のSLが展示されている。孫は、運転台の運転シミュレーターが気に入り、長い順番を待って何回もトライするが、途中でゲームオーバーになる。現地の子はシミュレーターから流れるオランダ語の説明を聞いた親に助けられ、終点まで行き着けるのだが、私にはさっぱり理解できず補助のしようがない。孫は、日本の友達に送る分と自分用にTGVの絵葉書を妻に買ってもらい、何とか機嫌を直す。
ユトレヒトには日本でも人気のウサギのミッフィーの生みの親ディック・ブルーナ・ハウスがある。娘2人は他日見に行ったが、私や妻は興味なく訪れていない。
帰りの列車で検札にきた車掌と孫が仲良くなり、16ゲームをもらう。妻と孫は車中ずっとゲームを楽しんでいた。
<オランダ点描・その8に続く>