善光寺縁起によると、本尊の一光三尊阿弥陀如来像は、インドから朝鮮半島百済国へ渡り、欽明天皇13年(552)、仏教伝来の折りに日本に伝えられた日本最古の仏像といわれる。
仏教受容を巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江に打ち捨てられたが、後に、信濃国司の従者本田善光が信濃へお連れした。
初め飯田市で祀られ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座した。
2年後、勅願により伽藍が造営され、本田善光の名をとって「善光寺」と名付けられた。
創建以来10数回の火災に遭ったが、その度ごとに民衆の力によって復興され、護持されてきた。
一貫して男女平等の救済を説く寺院として知られ、女性の参拝者が多いのが善光寺詣りの特徴。当時の絵馬にも女性信者の姿が数多く描かれている。
本尊の分身仏である前立本尊を奉じて全国各地を巡る「出開帳」によって集められた浄財をもって宝永4年(1707)現在の本堂が落成。続いて山門、経蔵などの伽藍が整えられた。
平成10年2月の長野冬季オリンピックの開会式では、善光寺の梵鐘が世界平和の願いをこめて響き渡った。
きれいに晴れ上がった10月31日、境内には七五三詣りの親子づれがたくさん訪れていた。
晴れがましい顔で記念写真におさまる姿が何とも微笑ましかった。