【041】華厳宗大本山・東大寺

      2020/03/24

 

  koya tanaka 田中 功也

【041】

◆左・創建当時 右・現在の大仏殿模型

◆東大寺模型 左右に七重塔

 

 【041】華厳宗大本山・東大寺/奈良県奈良市雑司町町

 

 1月31日、依水園の池泉回遊式日本庭園と寧楽美術館を楽しんだ後、近くの美味しいそば処で昼食をとろうと思ったが、「従業員不足のため臨時休業」の札。こんな所にまで人手不足の波が及んでいるとは…… 昼食は先に延ばして、写真家「入江泰吉旧居」や戒壇院を経て東大寺へ。このルートは南大門を通る正面からの参道に比べ、格段に人が少なくお勧めである

 天平年間に聖武天皇の詔により各地に国分寺が建立されたが、東大寺は全国の総国分寺にあたる。大仏もほぼ同じ頃に造られている。仏教国家体制の最高潮といわれる天平時代に文字通り国力を傾けての大事業であった。平安末期に平重衡の焼討ち、戦国時代に松永久秀の兵火に遭い、現在の堂塔は大部分が江戸中期に再建された。

 国宝大仏殿は宝永5年(1708)再建。創建当時より縮小されているが、東西57m、南北50.5m、高さ47.5mで木造では世界最大級。甍が陽光に輝くさまは壮麗。
国宝大仏(廬舎那仏)は、天平勝宝4年(752)開眼。完成はその6年後。造立以来たびたび補修され、現在の高さは寺伝より1mあまり小さい15m、重さ425tの銅造。頭部は江戸時代のものだが、腹部、両足、台座の蓮弁に天平時代のものが僅かに残る。

 天平15年(743)冬、聖武天皇は“夫れ天下の富を有つ者は朕なり。天下の勢いを有つ者も朕なり。此の富勢をもって此の尊像を造る”との詔を下した。全宇宙の中心たる廬舎那仏を造立すれば民が救われると信じた。天平時代は初年から災害、疫病が多く、この造立工事に参加すれば救われると天皇自らが先頭に立ち、働いたという。

 陽だまりには鹿の群れが憩い、所々の紅梅はたくさんの花を咲かせている。

 帰路、国宝南大門の周辺やメインルートは人であふれていた。重層入母屋造りで高さ25m、中国宋の天竺様式。鎌倉時代の再建。正面左右に運慶、快慶作の金剛力士阿吽の像が立つ。

 新型コロナウィルス肺炎で海外旅行が禁止される前に来日したのか、たくさんの中国人が本国での騒ぎをよそに楽しそうに鹿と戯れている。

 

 

 

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