東急世田谷線「松陰神社前」で下車。松陰神社通り商店街を3~4分歩いて左折すると目の前が開け、松陰神社の鳥居とその奥に社殿が見える。住宅街に囲まれ、厳かな囲気の中に佇んでいる。
安政の大獄に連座し、30歳の若さで刑死した吉田松陰を門下生高杉晋作、伊藤博文らによって毛利藩主毛利大膳大夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に、小塚原から改葬された。
境内の一角に、山口県萩市の松陰神社に保存されている松下村塾を模した建物がある。
吉田松陰が実際に塾生に教育を行ったのは、安政3年8月頃から安政5年末に投獄されるまでの2年半ほど。薫陶をうけた塾生はおよそ90名。久坂玄瑞、高杉晋作、山県有朋、伊藤博文など。明治維新の際、中核を担うこととなる多くの若者たちである。
明治15年、墓畔に松陰の霊を祀る社が築かれた。