【008】大谿山豪徳寺(世田谷区)

      2018/10/21

 

  koya tanaka 田中 功也

【008】

◆大谿山
◆本殿
◆井伊直弼墓

 

 

 

【008】大谿山豪徳寺(世田谷区)

 

 

◆山門

◆三重塔

◆鐘楼

 猛暑が去り9月も中旬に入ろうとする初秋の一日、小田急小田原線沿線の豪徳寺を訪れる。駅から南東方向にゆっくり歩いて13分、世田谷の閑静な住宅地の一角にある。鬱蒼と繁る森の樹間を涼風が吹き抜ける。

 寛永10年(1633)ここ世田谷が井伊家の所領地となり、文明12年(1480)に建立された弘徳院を彦根井伊家は江戸菩提寺と定めた。その後、万治2年(1659)2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天栄大居士」に因み豪徳寺と改称され、大名家墓所に相応しい伽藍を整え現在に至る。

◆仏殿

◆井伊家歴代の墓

◆赤門

◆開祖堂

 江戸時代の大名墓所の形態をよく保存し、江戸周辺では最大規模の国指定史跡となっている。仏殿、灯籠、鐘楼は創建当時のもので、本堂・法堂、開祖堂、書院、三重塔、招福殿(招き猫)、地蔵堂、種月園(枯山水)や井伊家歴代の墓があり、世田谷を代表する古刹となっている。延宝5年(1677)完成の仏殿は、黄檗宗の影響がみられる禅宗の仏殿。

 また、この寺には2代藩主井伊直孝が鷹狩りの折り、大雨の中、木の下で雨宿りしていたところ、住職の愛猫「タマ」の招きで落雷を逃れたという伝説がある。豪徳寺の招き猫は幸運を招くとあって、家内安全、商売繁盛、心願成就を願う招福殿への参詣者が多い。

◆仏殿

◆奉納された招き猫

◆奉納された招き猫

 この日も西洋人4~5人のグループが3つ、うち1つはガイド付き、日本人の2~3人連れが何組か、1人旅の人達が訪れていた。

 なお、寿禄会インスタグラム5月11日に、「招き猫の豪徳寺」をアップしてもらっているが、その時は10時前に行ったため御朱印がもらえなかった。今回、墨痕鮮やかな達筆の御朱印を期待して行ったが、マジックで書かれた拙い文字に落胆甚だしい。

 

 

 

 

 - 御朱印わんだーらんど