「コロナ危機」-何を考える?

      2020/05/17

◆ニューヨーク セントラルパークに立てられたテントの仮設病院

 5月はじめの博多どんたくが中止になったというニュースを聞きました。私の住まいする都下東村山市出身の最著名人、志村けんさんが3月29日感染症でなくなりました。外出予定はこの間すべて、中止、延期、コロナ危機は、かくて、本当に身近です。

 コロナ危機は、文字通りグローバルに広がっています。グローバル化は、人、モノ、カネと情報の移動に国境がなくなることだと言われます。これに乗って、コロナウイルスがグローバル化しました。グローバル化の利益を多く受けているのは先進国ですから、コロナウイルスもまずは先進国を襲っています。それにしても、3月中旬以降のアメリカの感染者数の急増はすさまじく、死者も含めて中国を大きく上回りました。メディアは、トランプ政権の初期対応の失敗を指摘しています。

◆厚生労働省資料より(4月3日正午現在の米国の感染者数は242,182人、死亡者数は5911人)

 ニューヨークは、セントラルパークにテントの野外病院が敷設され、医療崩壊が報じられています。この惨状のなかにある看護師さんは、二の舞にならないでと、東京に悲痛な警告を発しています。「感染爆発ぎりぎり」の東京で小池都知事は、オリンピックの延期決定のあと、胸のつかえがとれたように威勢がよくなり、3月最後の週末の外出自粛を緊急記者会見でよびかけ、首都圏の3県知事も協調しました。続いて都知事は、夜の盛り場への男性の出入りの自粛も呼びかけました。感染経路不明の出所がこのあたりと見当をつけたのです。

 このなかで、一番の論点となっているのは、いつ、安倍首相が「緊急事態宣言」を行うか、です。都知事は、「東京を守ることは国を守ること」、「都として何ができるか整理している」と言外に宣言を求めています。大阪府知事は、必要だと明言しました。日本医師会幹部も手遅れにならないうちに早めに宣言をと表明し、国民民主党の代表も記者会見で同じことを言いました。首相が独断専行と非難されずに宣言をする状況はこうして作られつつあります。

 「緊急事態宣言」は、2012年民主党政権下で制定された「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の制度であり、この3月の同法改正で、新型コロナウイルス感染症にも適用することになりました。これによると、政府対策本部(3月27日に設置すみ)の本部長、つまり首相は、「全国的かつ急速なまん延」が「国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがある」とき、緊急事態の発生を宣言し、あわせて対策実施の期間と区域を公示します。期間は2年を超えず、ただし1年刻みで延長できます。

 緊急事態宣言をすると、首相は、都道府県知事、政府機関また公共機関に必要な指示をすることができます。都道府県知事も同様に市町村長に指示をすることができます。首相と都道府県知事、市町村長は、通常ならば、指示し、指示される関係にはありません。国民に対しても、外出、一定の施設の利用、イベントの開催など、自粛要請にとどまらず、法的な拘束力をもった指示ができます。また、医療機関や医療器具販売者に対して、また私有地の利用、物資・資材の供給などについて強制的な措置を行うことができます。

 一般に「緊急事態」の制度は、非常の事態を乗り切るために平常時と異なるトップダウンの一元的な指揮命令の体制をつくることを目的にします。戦争、内乱、テロ、大災害などがこうした事態として想定されます。コロナ危機は、どの国にとっても非常の事態です。そこで、共通に問題となるのは、「緊急事態」の制度が、議会の立法・審議権限の縮小と市民の行動(政治的、文化的活動を含む)の自由の制約をもたらすこと、つまり、民主主義との関係です。すでにいくつかの国では深刻な問題が生まれています。

 わが「緊急事態宣言」は、首相が自ら宣言し、自らに通常時にない特別の権限を与えるものです。コロナ危機に際して首相にそのような権限を与えることが合理的で、必要だと認めるとしても、与えるかどうかの判断は、首相ではなく国会が行うというのが民主主義の筋のように思われます。3月の改正審議の際、「緊急事態宣言」に国会の承認を要件とすべきだという声が野党からあがりましたが、実現しませんでした。

 コロナ危機は、どの国にも共通の課題を示しています。治療薬とワクチンの開発そして免疫者の増大によって感染の収束が見えるまで、感染防止策と医療体制強化で持ちこたえ、同時に社会的接触が抑制されることによる経済・雇用の急激な落ちこみと生活困窮を、大規模で迅速な財政出動によって支えることです。一つの手段にすぎない「緊急事態宣言」を切り札のように期待することは、危機克服の見通しをあやまらせかねません。

 ここで、わたしの贔屓のドイツのメルケル首相のことです。ドイツは、感染者数も死者数も日本を大きく上回っています。かの女は、いま、感染者と接触したことを理由に自主隔離の身となっていますが、3月18日、コロナ危機に際して、国民に対するアピールを行いました。スマホでもこれを聞くことができます。メルケル首相のアピールを聞いて多くの人が大事だと思ったのは次の部分です。

◆第二次大戦以来の試練――感染拡大防止のため、国民に団結と協力を求める演説を行うメルケル首相)

 「開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝えること、理解を得られるようにすることです。もし、市民の皆さんがこの課題を自分自身の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。私たちは、民主主義社会です。私たちは、強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。」

 安倍首相が「緊急事態宣言」をするときが来たら、私たちにどのようなアピールをするだろうか、とつい思います。トップリーダーが民主主義をどれだけ大切にしているか、その信頼がかぎだからです。官僚の忖度に守られまともに議論しない国会の答弁、時間を切って記者を無視して急いで終わる記者会見、「復興オリンピック」がいまや「コロナ撃退記念オリンピック」に変わってしまったご都合主義…・。コロナ危機は、日本の民主主義を試しているのかもしれないと考えこんでしまいます。

 

 

 

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