「その時、君は?」【010】1964 Apr.1 防衛大学青春記 ②学生生活
2020/10/21
1964 Apr.1
「その時、君は?」【010】 阿部 保之
防衛大学校は、三浦半島東南端の小原台に位置し、西に富士の秀峰、東に房総の山々を望み、眼下には紺碧の東京湾を見下ろす景勝の地にあります。
敷地は約65万平方メートルで、防大の学生は入校と同時に全員例外なく敷地内にある学生舎(学生寮)で団体生活を送ることになります。
学生舎は、三浦半島先端の小原台が東京湾に落ち込む北端の崖際に西から東へ一列に白亜の鉄筋4階建ての学生舎が建てられており、建物は全部で5棟あり、西側から1大隊~5大隊(現在は第1大隊から第4大隊まで、下の全体図の記号では㉙~㉜)の順に並んでいます。
この学生舎正面の端から端まで、幅約10m・長さ約500mにおよぶアスファルトの道路があり、これを「生月の道」と呼んでいました。
「学生隊」とは、学生相互の融和・団結を図り、学生の共同生活を円滑にし、あわせて学生に部隊指揮および業務処理の基礎的能力を修得させることを目的とした学生組織です。防衛大学校の学生は入校と同時に全員学生隊に所属することになります。
学生隊の運営は訓練部長や各指導教官(幹部自衛官)の指導のもと、各学生長、週番学生等によって自主的に行われています。また、教育や訓練、各種競技会など校内における行動や行事(水泳大会、開校記念祭など)は学生隊を主体として行われます。
学生隊は、陸上自衛隊の部隊編成を模して造られており、大隊、中隊、小隊がありそれぞれに各指揮官が居り大隊長の代わりに(大隊学生長)、中隊長(中隊学生長)、小隊長(小隊学生長)、これらの部隊(グループ)が各学生舎に分散して生活しています。
学生隊には、それぞれ学生の指揮官が指名され、観閲行進等においては部隊の指揮を執ります。また、学生の勤務状況管理(成績、生活態度など)を行う自衛官の指導教官が各隊に一名ずつ充てられます。小隊:1等陸空海尉、中隊:3等陸空海佐、大隊:2等陸空海佐の幹部自衛官がそれぞれの所属学生の勤務状況管理を行います。
当時の編成は、中隊=3個小隊(中隊)、大隊=4個中隊、学生隊=5個大隊というような編成で学生隊が組織されていたように記憶しています。
学生舎は、鉄筋の4階建てのアパート式でした(ベランダ無し)。この建物が小原台の北端に西から東に5棟並んで建っており、建物中央が正面入り口(玄関)になります。入り口の右側に当直室があり、常時当直幹部(自衛官)、週番学生(4年生)が詰めており保安警戒に当たっています。(時に学生に外から掛かる電話の取り次ぎなども)
居室は、現在は1学年~4学年まで2名ずつ8名で2室を使用しているようですが、私達の頃は4学年1名、1・2・3学年7名、計8名で使用していました。この4学年の学生が部屋長と言ってその部屋の責任者になっていました。簡単に言えば、各階(中隊)毎、1学年の部屋と2、3学年の部屋があったと言うことです。
部屋の感じは、建物の横方向中央に幅約2m程の廊下が通っていて、その廊下を挟む様に約8畳間位の寝室と自習室が向かい合ってあり、一つの部屋の単位になっています。自習室は、廊下から入って左右に隣の部屋の壁、その壁に向かい人数分(8人)の木製の机が備えられて、定められた自習時間の間勉強をしていました。夕食後、自習時間が定められていて、19:00~22:00頃だったと記憶しています。自習室の明かりは、この時間以外は点けてはダメで、試験期間中泥縄に時間が足りない時は週番学生に延灯願いなるものを出して、時間延長を許可して貰うことが出来ました。