「その時、君は?」【010】1964 Apr.1 防衛大学青春記 ③校友会活動/山岳部
2020/10/21
1964 Apr.1
「その時、君は?」【010】 阿部 保之
防衛大学の校友会(クラブ活動)は、一般の大学と同じように活発に活動していました。
クラブは、柔道、剣道、空手、合気道、相撲、ラグビー、アメリカンフットボール、サッカー、バスケットボール等一般的な種目も多く、又学校の特殊性もあり、聞き慣れないようなクラブもありました。
例えば…
短艇委員会(船に搭載しているカッター(救助艇)を漕いでスピードを競う)、儀仗隊(大学の公的行事や賓客を迎えた観閲式で儀仗を行う)、パラシュート部、銃剣道部(小銃に着剣した時の戦闘術を学ぶ)、アカシア会(社交ダンス部)などです。
尚、卒業前には横浜市内のホテルを貸し切って、アカシア会主催の卒業記念のダンスパーティー(晴れがましくもあり、恥ずかしくもあり…)が催されますが、卒業生は各人でパートナーを見つけ出席しなければなりません。(⁎˃ᴗ˂⁎)
校内生活に慣れて来た頃、学生舎では各クラブの勧誘活動が活発になりました。私は、何を間違ったのか、部活を選ぶ際に山岳部のかまぼこ兵舎の部室を覗いてしまい、早速手ぐすね引いて待っていた部長はじめマネージャーに、あっと言う間も無く登山靴(革)の採寸をされて、防大山岳部員に加えられることになりました。
しかも、マネージャーに共済組合窓口に連れて行かれ、登山靴の天引き(ローン)の手続きまでされて、踏んだり蹴ったり。( >_< )
◈新入生歓迎会
4月中旬になり、山岳部の新入生歓迎会が行われました。場所は、部の下宿と言う横須賀市内の古い一軒家を借りた所で何とも侘しい雰囲気。早く言えば歓迎会と言うより新入生と上級生との顔合わせ会とでも言った方が当たっていたようです。
しかし、この会がこの後の厳しい部活のプロローグになろうとは思ってもみませんでした。
◈鷹取山クライミング訓練
◈谷川岳合宿
5月初旬、連休を利用して群馬、新潟県境にある三国山脈の山谷川岳合宿が計画されました。日程は約4~5日程度だったと記憶していますが、この時初めてピッケルを持たされて、上野駅から上越線に乗り土合駅からまだ雪渓が残る谷川岳のキャンプ地に入りました。
その日は、初めて雪の上にエアーマットを敷いて寝袋に包まってお尻の下から冷やされる何とも落ち着かない一夜を過ごしました。
翌日はいよいよ、一の倉沢に入り雪渓での訓練が始まりました。最初は、雪渓の登り方、ピッケルを使って滑り降りる方法、ピッケルを使った滑落停止法。
丸一日、みっちり扱かれた後はピッケルの杖が大いに役立つ程、帰る足取りもよろけました。
◈丹沢歩荷(ボッカ)訓練
◈夏合宿(剱岳)8月1日~13日
夏合宿は、飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰にある標高2,999mの山、剱岳(新田次郎の「点の記」で有名)に行きました。
新宿から富山方面への国鉄列車に乗せられて、剱岳登山ルートの室堂の最寄り駅へ行き、そこからバスで室堂まで登って室堂の側の雷鳥沢でキャンプ。
1年生は上級生の登頂のため、雷鳥沢から荷物を剱御前小屋まで荷揚げをしました。(丹沢歩荷訓練が生きて来ました。)
1年生の役割はここまでで終わり、山頂アタックは上級生が行いました。険しい稜線と深い谷が織り成す迫力ある名峰・剱岳。日本百名山でも屈指の難易度で、「1年生には技術的に無理!」ということだったようでした。
◆剱御前小屋から剱岳を望む。
手前が前剱。
合宿が終わって、室堂から下山した時、お腹を空かしていたときに4年生が汽車を待つ間、駅でリンゴを買ってくれ、その時の果汁の甘さが、このときの合宿の想い出として今でも忘れられません。
※この後硬式テニス部に移籍しました。